夫婦喧嘩
登場人物
森下薫(もりしたかおる) 専業主婦。23歳。
早川琴(はやかわこと) OL兼アマチュア作家。薫の姉。25歳。
森下悠太(もりしたゆうた) 薫の夫。24歳。
舞台は、森下家の応接間。
舞台中央にテーブルがあり、その周りには数個椅子が配置されている。
琴 「お邪魔しまあ~す」
薫 「はいはいどうぞどうぞ」
琴、薫登場。
琴は携帯を手にしている。
琴 「ホントに大丈夫なの?」
薫 「大丈夫大丈夫。あの人はいつも土曜は遅くなる日だから」
琴 「それならいいんだけど。」
薫、椅子に座り、琴にも座るよう促す。琴、辺りを見回しながら座る。
琴 「でも遅くても帰って来るんでしょ、あんたのご主人」
薫 「まあね」
琴 「こういう話は別の所でした方がいいんじゃない?万が一旦那さんが早く帰って来てしまったら元も子もないよ」
薫 「だから大丈夫だよ。」
琴 「でも万が一の事があるでしょ?」
薫 「まあね。」
琴 「できる限りそういう相談は彼に聞かれたくないんでしょ?確かメールでは、そう書いてあったよね」
薫 「うん」
琴 「だったら、尚更ここじゃまずいよ。別の所でした方がいいんじゃない?」
薫 「いや、でもここの方がいいの」
琴 「でも薫」
薫 「ここの方が落ち着くの。ここでしたいの。」
琴 「・・・そう。・・・じゃあ、もし万が一帰ってきたら、私の小説の取材のためだって言うからね。それでいいね?」
薫 「(頷く)」
琴 「(手にしている携帯を見ながら)・・・あと。これはいざという時に、本当に使っていいんだね?」
薫 「うん。いいよ。」
琴 「分かった。・・・じゃあ、そろそろ」
薫 「うん。」
琴 「さて、どうしたものかなぁ」
薫 「ごめんね、琴ネエ。仕事で忙しい中こうやって相談に乗ってくれて。」
琴 「いいよ、そんな事。それより、あんたの方がよっぽど心配な状態なんだからさ」
薫 「ごめんなさい」
琴 「いちいち謝らなくていいから。もうこれで十回は言ってるよ?」
薫 「そんなに言ってたんだ」
琴 「そうだよ。そんなにたくさん言って、自分で分からないの?」
薫 「まあ分かるけど」
琴 「だったらもう謝るんじゃないよ。別にあんたはね、悪い事なんて一つもしてないんだからさ」
薫 「でも、こればかりは、本当に申し訳なく思ったから。」
琴 「・・・・・・。」
しばしの沈黙。
琴 「きれいな部屋ね。」
薫 「応接間だからね。」
琴 「薫がいつも掃除してるの?」
薫 「そうだけど?」
琴 「いい仕事してるワァ。入った時から何か感じてたのよね」
薫 「へへへへへへへ」
琴 「さすが専業主婦って感じね。恐れ入りましたわ」
薫 「そんな事しかやる事ないから」
琴 「でもそういう事が出来る主婦はなかなかそう多くないよ?」
薫 「そうなの?」
琴 「うん。少なくとも私の周りの人はそう」
薫 「皆仕事してるからなんじゃないの?」
琴 「いやいやいや上司の話からもいつも、掃除をやらされる話とか、皿洗いをさせられる愚痴とかをよく聞くから」
薫 「上司って、男の上司から?」
琴 「そう。その上司は家事に専念する主婦と暮らしてるんだけどね、奥さんからいつもそう言われるんだって」
薫 「へえ、そうなんだ。」
琴 「時代は変わってるんだよ。女性だって大変なんだからね」
薫 「そりゃそうだ」
琴 「そんな中で大したもんだよ」
薫 「でもその程度の事はやろうと思えば出来るよ」
琴 「いやいや出来ないよ」
薫 「女子力っていうじゃない」
琴 「いや、だからと言って皆が皆できるから言ってるわけじゃないと思うよ。」
薫 「そうなの?」
琴 「まあ調べりゃ見える事なんだけどね。」
薫 「さすが作家さんだね」
琴 「いやいや関係ないから。それで食べてるわけじゃないし」
薫 「でも琴ネエは、仕事はしてるんだよね」
琴 「そりゃ独身だからね」
薫 「そうでしょ?」
琴 「って、私の事はどうでもいいノ。」
薫 「ええ~」
琴 「『ええ~』じゃない。私だって暇つぶしで来てるんじゃないんだから」
薫 「ごめん」
琴 「・・・。」
間。
琴 「えーっと、確か。ご主人とうまくいってないんだったっけ?」
薫 「うまくはいってるよ。」
琴 「じゃあいいじゃない」
薫 「でも駄目なんだって」
琴 「どこが?」
薫 「いや、分からないんだけど」
琴 「はっきりしなさいよ」
薫 「ごめんなさい」
琴 「・・・ほんと、どうしたの?あんた前と随分変わったよ」
薫 「やっぱり?」
琴 「自覚してるんだ」
薫 「うん」
琴 「そりゃそっか。でなければこうして相談を求めてこないものね」
薫 「それもそうだけど、あの人にも最近、よくそう言われるから。」
琴 「あの人?」
薫 「悠太の事」
琴 「ああ、あんたの旦那さん」
薫 「そう」
琴 「まあそうでしょうね。ホント随分変わったもの」
薫 「そうなのかな」
琴 「うん、変わった。だって薫、そこまで控えめと言うか、自分を押し殺すようなタイプじゃなかったじゃん」
薫 「自分を押し殺してる?私が?」
琴 「うん。そう見える。」
薫 「え?いや、そんな・・・」
琴 「正直に話しなよ。何があったの?」
薫 「・・・・・・。」
少しの間。
薫 「嫌になっちゃって。私、今の夫婦生活が、嫌になっちゃって。」
琴 「嫌になった」
薫 「そんな事思うのは贅沢なワガママなのは分かってる。けど、私、何か、もう、疲れちゃってさ」
琴 「・・・例えばどんな事?」
薫 「えっ?」
琴 「例えば、どんな事に疲れたの。」
薫 「いや・・・そんな事思っちゃいけないのを分かってるんだけど」
琴 「そんなことイチイチ言わなくていいって。その上で聞いてるんだから」
薫 「そう、ならいいけど。」
琴 「うん。」
薫 「その、何と言うか・・・何か、悲しい気分になっちゃって。」
琴 「うん。」
薫 「不思議だよね。夫の収入は安定してるし、こうして一軒家に過ごしてて幸せなはずなのに、何か自分が、まるで、悲劇のヒロインになっているような気分になって。しかも、いつもそういう気分に襲われてさ」
琴 「そう。」
薫 「今日、こうしてわざわざ琴ネエに来てもらったのは、その事を相談するためでさ」
琴 「なるほどね。」
薫 「どう思う?」
琴 「どう思うって言われても、答えづらい質問だねえ」
薫 「何か、ごめん」
琴 「いいよ、そう言う事を覚悟の上で来たんだから」
薫 「そんな覚悟をさせちゃってホントゴメン」
琴 「・・・あんたはどう思ってんの」
薫 「何が?」
琴 「どうして自分がそういう気分になっちゃうかって事よ」
薫 「えっ、いやあ。・・・分からない。」
琴 「・・・ほんとに?」
薫 「・・・・・・。」
琴 「もし本当にそうだったら、それはそれでいいけど。それだったら、じゃあ何で、あんたが悲しい気持ちにならなきゃいけないワケ?」
薫 「何でなんだろ。」
琴 「本当に自分でも分からないの?」
薫 「うん」
琴 「そう。ま、それもそっか。だからこうして相談してるんだものね」
薫 「うん」
琴 「そっかあ~、う~ん、出来ればアンタの、その苦しい気持ちを楽にしてやりたいんだけどね、私は専門のカウンセラーじゃないからなあ~。うう~ん。これはフロイトでもホームズでも解き明かせないんじゃないかなあ」
薫 「ホームズ?」
琴 「え?コナン・ドイルの小説に出てくる有名な架空名探偵、シャーロック・ホームズの事だよ。あんた知らない?」
薫 「いや、知ってるけど。何でホームズかな~って」
琴 「えっ、何でって、ホームズは推理が得意だから」
薫 「それだけ?」
琴 「うん、それだけ」
薫 「(フッと笑う)」
琴 「何で笑うワケ?」
薫 「ごめん、つい。何か笑えて。」
琴 「はあ、こんなんで笑いが取れたらわたし芸人になっちゃうワ」
薫 「え?!琴ネエ芸人になるの?」
琴 「いや、そうは言ってない」
薫 「ああ、そうなんだ」
琴 「(あきれ顔になるが)やっと元に戻って来たね」
薫 「え?」
琴 「私の知ってるアンタに戻って来たってコト」
薫 「・・・え?」
琴 「だから私が言いたいのはア」
薫 「イヤ、意味は分かるの」
琴 「じゃあ何なの」
薫 「いや、ついさっきまでの私って、以前の私とは随分、何かこう、違ってたんだなあ~って。」
琴 「は?」
薫 「ごめん、何でもない」
琴 「ああ、そう。」
薫 「それよりどうしよう・・・」
琴 「ん?」
薫 「いや、これからの事」
琴 「これからの未来の事を憂えたって仕方ないじゃない」
薫 「いやそうじゃなくて、その、アレだよ、アレ」
琴 「え?」
薫 「アレだよ。アレ。」
琴 「いや、『アレ』じゃ分からないよ」
薫 「また説明させる気なの!?」
琴 「聞いてる身にもなってみてよ。『アレ』『アレ』って言われても、聞いてるこっちとしては、『アレ?何言ってんだこの人』、って思うじゃない」
薫 「琴ネエそんな風に私の事思ってたの!?」
琴 「いやちょっと言い過ぎたけどさ。要は理解できてないって事。」
薫 「ああ」
琴 「『アレ』って何の事よ」
薫 「だから・・・自分は幸せなはずなのに、何か悲しい気持ちになっちゃうっていう変な、アレの事だよ」
琴 「ああ、アレね。」
薫 「・・・。」
琴 「あ、いや、話がつながってたんだね。」
薫 「当たり前だよ。でなかったら、何で琴ネエにここに来てもらったか分からないじゃない」
琴 「それもそうだ」
薫 「しっかりしてよ。も~う」
琴 「牛みたい」
薫 「ふざけないでよ」
琴 「ごめんごめん」
間。
琴 「まあ、どうしようねえ。・・・でもそんなに深刻にならなくていいんじゃない?」
薫 「どうして?」
琴 「いや、だって、私のこういうくだらない話で笑ってくれるんだからさ」
薫 「どういう事?」
琴 「いや、だから、あんたは何も悪くないって事。」
薫 「え?」
琴 「あんたは、何も悪くないって事。」
薫 「・・・どうして?」
琴 「どうしてって、そう思うから。」
薫 「どうして?」
琴 「(苦笑しながら)・・・どうしてモ。」
薫 「(合点がいかない様子で)つまり、どうすればいいの?」
琴 「だから、あんたは悪くないから、たまにぐらい今回のように、誰かお客さんを呼べばいいジャン。今話してて分かるようにさ、目茶苦茶いい気分転換になったでしょ?」
薫 「ああ、うん。」
琴 「だから、そうすればいいじゃん。」
薫 「何で?」
琴 「あんたねえ」
薫 「ごめん。」
琴 「いや、別に謝らせたいわけじゃなくて」
薫 「いや、私本当に分からなくてさ。」
琴 「何が?」
薫 「どうして他人をウチに呼ばなくちゃいけないのか、分からなくて。」
琴 「どうしてって」
薫 「だって、すごく気を遣うじゃん」
琴 「それって。・・・じゃあ、あんた。実の姉である私にさえ、すごく気を遣ってる、って事?」
薫 「そうだよ。」
琴 「・・・・・・。」
薫 「それが何か悪い?」
琴 「いや。むしろいいと思う。気を遣う事は大人にとって大事な事だから」
悠太 「(声だけ)ただいま~」
琴 「え?!」
薫 「あれ?!もう帰ってきた。おかしいな、やけに早い。いつもならもっと遅いはずなのに。(悠太に向かって)お帰り~」
悠太 「(声だけ)あれ?薫応接間にいるの?」
薫 「そう。琴ネエがウチに来てくれたの」
悠太 「え、お義姉さんが?」
悠太登場。
悠太 「何だよ、お義姉さんが来るなら来るってちゃんと連絡してくれないと困るじゃないか」
薫 「ごめん。でも随分早かったじゃない」
悠太 「あれ、俺たしか今日は早いって言わなかったっけ」
薫 「そうだったっけ」
悠太 「そうだよ。月2、3日はこの時間帯に帰って来るって言ったじゃないか」
薫 「あ、そうだった。ごめんごめん」
琴 「(薫に向かって)お仕事何してるんだっけ」
薫 「(ひそっと)食品関係の仕事」
琴 「なるほどね」
悠太 「(琴に向かって)いやあ、お義姉さん。どうもお久しぶりです。」
琴 「こちらこそ。お仕事お疲れ様です」
悠太 「あっ、いやあこんなふしだらな格好で恐縮です」
琴 「いえいえいえ、私そういうの好きですから」
悠太 「そうなんですか?」
琴 「変に着飾らないで、自分の打ち込んでいる、その、仕事に向かう姿勢が、好きなんです」
悠太 「なるほど」
琴 「おかしい人ですよね」
悠太 「いや、共感できますよ。さすがお義姉さんと言いますか、とても寛容な見方でいらっしゃいますね」
琴 「はて寛容かどうかは、よく分からないんですけれど。」
悠太 「寛容だと思いますよ」
琴 「・・・それのどこがふしだらなんですか」
悠太 「いやあ、この服は少なくとも、我が家に来て下さったお客様の前で着る服ではありませんから」
琴 「言われてみれば、確かにそうですが。けれどいいんですよ。私なんて身内のようなモノじゃないですか」
悠太 「いや、そうやって自分に言い訳をするわけにはいきませんので」
琴 「あら、そう」
悠太 「(薫に向かって)薫、お茶は出したか?」
薫 「いや、まだ」
悠太 「お茶を早く出しなさいよ、お義姉さんはのどを渇かしてるかもしれないだろ?」
薫 「ごめんなさい」
薫、急ぎ足で退場。
悠太 「今回はどういう御用で我が家に訪ねられて?」
琴 「・・・え?」
悠太 「今回は、どうして我が家に来られたんですか?」
琴 「あ、ああ・・・取材のために伺いに来たんです」
悠太 「取材に?」
琴 「そうです」
悠太 「何の。」
琴 「小説を書くための取材です」
悠太 「ああ、執筆のための取材ですか」
琴 「はい」
悠太 「お義姉さんは確か、作家さんでもありましたっけ。」
琴 「いやあ、正確にはそれで食べているわけではないんですが、一応自称で。」
悠太 「まさか我が家が作品の題材にされるんじゃないでしょうね」
琴 「いいえ、直接的には扱いません」
悠太 「直接的には?」
琴 「いや、まあ、とにかくご安心ください。ちゃんと配慮するつもりです」
悠太 「そうですか」
琴 「はい」
悠太 「今の時代じゃ、自分のラブレターひとつで傑作を書く作家がいる時代ですからね。そんなに無茶しなくてもいいんじゃないですか?」
琴 「いやあ、確かにそうなんですけれど」
悠太 「それにウチの事を直接扱わないのでしたら、何で取材する必要があるんですか?」
琴 「え?」
悠太 「いやあ、僕はそれ専門じゃないから、よく分からないんですよ」
琴 「なるほど。そ~うですねえ~、何と言いますか・・・」
薫 「専業主婦の生の声を聞きたいからだそうですよ」
薫、お茶を持って登場。
悠太 「生の声?」
薫 「ほら、あまり聞かないじゃない、今時。こんなに家事に専念する専業主婦って。」
悠太 「まあ、多くはないだろうな」
薫 「それで今回琴ネエが、本来の家庭のあり方はどうあるべきかっていうのを主題にした作品を書きたいみたいでね」
悠太 「なるほど」
薫 「それで近況とか日頃の考え方とかを取材してくれてるわけ」
悠太 「何で薫が知ってんの?」
薫 「いや、知らなきゃおかしいじゃない」
悠太 「え?」
薫 「だってその情報がどう使われるか分からなくちゃ、話せないんだからさ」
悠太 「まあそれもそうだ」
琴 「よろしくお願いいたします」
悠太 「大変な作業ですな」
琴 「いえ、好きにやってる事ですので、趣味ですので」
悠太 「いやあ、でも趣味でやるにしても大したものですよ。」
琴 「そうですか?」
悠太 「はい。・・・良ければ僕も提供しますよ」
琴 「いやあ、いやいやいやいやそれはお気持ちだけ頂いておきます」
悠太 「どうしてですか?なかなか参考になると思いますけど」
琴 「いやあ、それは・・・」
薫 「女性の目線で描きたいんだよね、琴ネエ。」
琴 「そうそうそうそう」
悠太 「いやお義姉さん、ご自分は女性でいらっしゃるじゃないですか。女性の目線で書くしかないでしょ、あなたは」
薫 「そういう意味じゃなくて」
悠太 「じゃあどういう意味?」
琴 「誤解されそうな言い方をしますけど、私は男性の方に同情しないように書きたいんです。ですから、男性の方の意見とか考え方とかを聞くのも悪くはないとは思います。けれど今日は時間が時間ですので、とりあえず専業主婦である薫さんから優先的に伺いたいなと」
悠太 「薫、さん?」
琴 「いやあ、もとい、妹の薫から」
悠太 「ああ」
琴 「そういうわけで、よろしくお願いします」
悠太 「そうですか。男の目線も大切だと思うんですけどね」
薫 「まあそれは琴ネエが自分で考える事だから」
悠太 「オレ間違ったこと言った?」
薫 「いやいや言ってない言ってない」
琴 「それじゃ、取材の続きをさせて頂きますね」
悠太 「はい」
薫、琴と向き合うようにして座る。
悠太、薫の隣にきょとんと座る。
琴 「(正直焦るが、冷静を装って)あ・・・ああ、そのぉ、悠太さんは別に大丈夫ですから」
悠太 「いや、僕も是非とも聞きたいなあって思って」
琴 「え、いやぁ。それはちょっと困るんですよ」
悠太 「どうしてですか?」
薫 「悠太、ちょっとは気を遣ってよ」
悠太 「オレ何か悪い事言った?」
薫 「いやいや言ってないけど」
悠太 「僕の事は、気にしなくていいんだよ。僕はいないものだと思ってくれて、いいんだよ。」
琴 「それはできません」
悠太 「どうして?」
琴 「私が聞きたいことが聞けないからです」
悠太 「どういう事ですか?」
薫 「あのね悠太、琴ネエはね、専業主婦のドロドロした気持ちを聞きたいみたいでさ」
悠太 「オレ何か悪い事言った!?」
薫 「ちがうちがうちがうちがう、そうじゃナイノ。だからそれぐらい暗い話をするって事」
悠太 「・・・いいよ。覚悟して聞くから。」
薫 「悠太あ~」
琴 「森下さん。どうかご協力をよろしくお願いしますよ。私は家事だけに専念する真摯な女性の、ありのままの事を、知りたいんです。ですから二人きりにさせてください。お願いします」
悠太 「・・・そうですね。僕もこんな服装ですし。まあ、どうぞごゆっくりなさってください」
琴 「ご理解いただいて、ありがとうございます」
悠太 「いえ。」
悠太、退場。
大きなため息をつく薫と琴。
薫 「ああ~、危なかった」
琴 「健康に良くないわ、こういうの。だから別の所でした方がいいって言ったのに」
薫 「ホントにごめんよ琴ネエ」
琴 「いや私はいいんだけど。いつもあんな感じなの?」
薫 「まあね。悠太の事でしょ?」
琴 「そう」
薫 「雰囲気はいつもこんな感じだよ。何か無限ループが続くような感じでさ。」
琴 「何かイヤだね、そういうの」
薫 「でもやっぱ、琴ネエの言う事は説得力あるワ」
琴 「それは他人だからだと思うよ?」
薫 「ホントにそれだけなのかな」
琴 「いつもあんな感じなの?」
薫 「まあね。」
琴 「めっちゃ気持ち悪いわあ~」
薫 「声が大きいよ」
琴 「あっ、ゴメン。」
薫 「まあいいんだけど。」
琴 「でもほんと大変だよね、ああいう人と一生過ごすなんて」
薫 「ホントは優しい人なんだけどね」
琴 「だったら私に相談しなくてもいいじゃない」
薫 「そう言う事じゃないんだってば」
琴 「そうなの?」
薫 「うん」
琴 「ふうん、そうなんだ」
薫 「何かホントに申し訳ないんだけどさ、現実はこんな感じで。」
琴 「・・・どうして話さないの?」
薫 「え?」
琴 「どうして彼に、話さないの?」
薫 「いや、その」
琴 「だってあの人のせいで、今こんなに苦しんでるんでしょ?」
薫 「それは」
琴 「違うの?」
薫 「・・・・・・。」
琴 「・・・優しいんだね。薫は。」
薫 「え?」
琴 「あんたは夫に優しい」
薫 「そんなことないよ」
琴 「そんなことある」
薫 「ない」
琴 「ある」
薫 「ない」
琴 「あるの」
薫 「ない」
琴 「あるものはあるの」
薫 「ない」
琴 「あんたはそうは思わないかもしれないけど、ハタから見てそう思うノ」
薫 「・・・どうして。」
琴 「だって。話聞くじゃない。」
薫 「彼の方が正しいからね。」
琴 「ホントにそれだけ?」
薫 「そうだよ」
琴 「ハタから見ててそうは思わないけどなあ」
薫 「実際は随分違うんだよ」
琴 「そうなんだ。主人がそんなにだらしがないの?」
薫 「いや、そうじゃなくて」
琴 「じゃあ手伝いをしない」
薫 「そういう事でもない」
琴 「じゃあ、何が違うの?」
薫 「分からない。分からないけど。何かが違うの。」
琴 「・・・そう。」
間。
琴 「私、ホントに書いてみようかなあ」
薫 「え?」
琴 「いや、さっきはごまかすために適当に言ってたんだけどさ、何か、薫を見てると本当に、そういうのを書きたくなってきた」
薫 「小説を?」
琴 「そう。主人公は薫のような、一生懸命で、心優しいコでさ」
薫 「(ついニッコリとしてしまい)そっか。私がヒロイン?」
琴 「そう」
薫 「私がヒロインか」
琴 「そうだよ」
薫 「じゃあこのやり取りから、本当に作品が出来ていくんだね」
琴 「うん。頑張って書くよ」
薫 「うん」
琴 「でもその前に、聞き取り調査をしなくちゃね。」
薫 「聞き取り調査」
琴 「取材だよ、取材」
薫 「ああ」
琴 「取材しなくちゃね。こんなことしてる時間がもったいない」
薫 「(にっこりと)そうだね。」
琴 「さて。何から聞こうかなあ。う~ん。じゃあ、専業主婦の仕事から聞いてくか」
薫 「どっからでもカカってきてちょうだい」
琴 「いや、喧嘩するわけじゃないんだから、もう少し気楽にしようよ」
薫 「それもそっか」
琴 「専業主婦って、どんな仕事してるの?」
薫 「私の場合で言えばいいんだね?」
琴 「勿論そうだよ」
薫 「えーっと、掃除でしょ?次に皿洗い。買い物や繕い物、洗濯・食事の準備は当たり前。あと会計仕事。」
琴 「会計仕事?」
薫 「家計簿みたいなヤツ」
琴 「ああ、なるほどね」
薫 「お金の管理は私が引き受けてるもんだから」
琴 「なるほど。」
薫 「でも、そういうのって・・・仕事持ちのOLとか女性経営者とそんなに変わらないんじゃないかな」
琴 「あんたはとりあえずそんな事は考えなくていい」
薫 「それもそっか」
琴 「他に、どんなことしてるの?」
薫 「他に?えーっと、他は・・・ああ。そういえばゴミ出しも基本的に私がやるね。最初は少し違和感があったけど、もうどうでもよくなっちゃった」
琴 「なるほどね、うん。他には?」
薫 「え、他に?仕事のことで?」
琴 「まあ、とりあえずその事を中心に。」
薫 「そんなこと言われてもなあ~、別に専業主婦で給料もらってるわけじゃないし」
琴 「当たり前だよ」
薫 「でしょ?」
琴 「でも、私は薫の考えとは、少し違ってた」
薫 「どんなふうに?」
琴 「いや、それはとりあえず置いといて。」
薫 「琴ネエの考え聞かせてよ。参考にしたいから」
琴 「でもさ薫、元々はあんた相談のためにここに呼んだんでしょ?」
薫 「そうだよ?」
琴 「話が聞いてほしいわけじゃないの?」
薫 「ああ」
琴 「違うの?」
薫 「参考にしたいからさ」
琴 「そんな、世の中にはいろんな本があるじゃない」
薫 「めんどくさくて読む気になれないよ」
琴 「ホウ」
薫 「だから参考にしたいの。琴ネエの話聞かせて。」
琴 「・・・そうね。じゃあ、ざっと、まず仕事の定義からした方がいいかな」
薫 「気難しいなあ~」
琴 「ああごめんごめん、でも私のような仕事をやってると、ついそこからやりたくなってさ」
薫 「なるほど。作家さんだからね」
琴 「いや、作家は趣味。単に自分の書きたいものを書いて、投稿サイトや新人賞に出品してるだけ。」
薫 「じゃあ何の事?」
琴 「私の副業の事だよ」
薫 「どんな仕事なの?」
琴 「広告の仕事。」
薫 「へえ、それって具体的に何をするの?キャッチフレーズを考えたり、デザインしたりすんの?」
琴 「何か聞く立場と話す立場が逆転してない?」
薫 「いいのいいの、私が聞きたいんだからさ」
琴 「ああ、そう」
薫 「で、どんなことするの?」
琴 「・・・まあ、いろいろあるけどね。そうねえ。確かにキャッチフレーズとかデザインも考えたりはするね。けど、まあ正確には、その前にいろんな下調べがあったり分析をしたりしてるんだよね。だって商品を売らなくちゃいけないから。それに、広告代理店って言うんだけど。そこでは大体、広告主とクリエーターを繋ぐ仕事が多いんだよね。まあケッコウ気を遣うよ。」
薫 「そうなんだ。」
琴 「でも、まあアレね。仕事っていうのはそういうものだよね、きっと。」
薫 「そうなんだ」
琴 「だって考えてもみなさいよ、一人で生きていく事なんて絶対できないんだからさ、人付き合いと言うか、その、アレだよ。大変なのは当たり前な事なんだよね、きっと」
薫 「うん、そうなんだね。」
琴 「でもまあアレだよ?やりがいっていうのはあるよ」
薫 「そうなんだ。」
琴 「でもまあ」
薫 「アレなんだね」
琴 「何言いたいかわかってるの?」
薫 「いや、全然。」
琴 「あんたねえ」
薫 「ごめんごめん」
琴 「まあ別にいいんだけど。」
薫 「いや、でもやっぱ、姉妹って似てるもんだね」
琴 「なにが?」
薫 「さっきは私に『アレじゃ分からない』って言ってたくせに、自分でも『アレ』『アレ』ばっかり言うもんだからさ」
琴 「ああ、そういえば」
薫 「いやあ、ウケるわあ」
琴 「どういう意味、それ。」
薫 「ごめん、傷つけた?」
琴 「イヤいいんだけど。とにかくアレなのよ」
薫 「また言った」
琴 「だまらっしゃい」
薫 「ごめん」
琴 「あっ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃなくて」
薫 「分かってるよ。要は、琴ネエの仕事は大変ではある、だけどやりがいがある、けれどやっぱり大変なんだ、って言いたいんでしょ?」
琴 「いや、ああ、あ、あー」
薫 「違うの?」
琴 「まあ。要はそういう事。ところであんた、だんだん話が横道にそれて行ってるような気がするんだけど、」
薫 「(暗い表情になって)ああ、そうだね」
琴 「いや、そんなに暗くならなくてもいいじゃん」
薫 「いや、だって・・・」
琴 「・・・。」
間。
琴 「気分転換したいんだよね。違う?」
薫 「・・・。」
琴 「・・・答えられないなら、それでもいいよ。ま、せっかくこういう風に話が出来たんだからね。理由はどうであるにせよ」
薫 「ゴメン。ほんとに」
琴 「・・・・・・じゃあ。あの、あんたの人生相談のためじゃなくて。その、私の小説の取材のために答えて。」
薫 「うん」
琴 「今、あんたは幸せ?」
薫 「・・・・・・。」
沈黙。
薫 「さあ。どうなんだろうね。よく分かんない。ただヤミクモに一直線に進んじゃった事を考えると、自分はもっといい道があったかもしれないし、ホントの事を言えば、不幸なのかもしれない。けれどハタから見たら、私のような人は幸せなんだよね、きっと。」
琴 「自分ではどう思ってるの」
薫 「いや、何というか・・・」
琴 「幸せじゃないの?」
薫 「そういう琴ネエこそどうなの」
琴 「え?」
薫 「琴ネエは今が幸せなの?」
琴 「・・・え?」
薫 「耳悪いなあ。琴ネエは幸せなのかって言ってるノ」
琴 「また来たね、逆質問」
薫 「ごめん」
琴 「もう勘弁してよ・・・」
薫 「ごめん」
琴 「謝るな!」
薫 「ゴメン」
琴 「(ズッコケる)」
薫 「琴ネエ?大丈夫?」
琴 「いや、私は大丈夫だけど・・・。まあ、確かに質問される立場になると、アレね。何というか。スッゴク答えづらい質問だね」
薫 「やっぱそうでしょ?」
琴 「うん。でも、私は断言できるね。幸せだよ。」
薫 「何で?」
琴 「えっ?」
薫 「何でそう思うの?」
琴 「・・・え?」
薫 「聞かぬフリをしてもダメだからね。今度は聞こえるように、確かにしゃべったから」
琴 「いや、そうじゃなくて。意表突かれたもんだから、つい。」
薫 「意表突かれた?」
琴 「だって、私そんな事、考えた事ないもん」
薫 「え。そうなの?」
琴 「うん。考えた事ない。」
薫 「・・・そうなんだ。」
悠太登場。
悠太 「取材の最中失礼しますう」
琴 「あら、もうお暇した方がいいですか?」
悠太 「いや、そうではなくて、お義姉さんはいいんです。(薫に向かって)薫。」
薫 「ん?」
悠太 「そろそろ、夕飯作ってもらってもいいかなあ」
薫 「ああ、ごめんごめん」
琴 「薫。」
薫 「大丈夫大丈夫。私はもう大丈夫だから」
琴 「でも」
薫 「今日はホントありがと。何か、自分でどうしたらいいか分かってきたから、琴ネエもう帰っていいよ。」
琴 「でも薫、」
薫 「私は大丈夫だから。おかげでいい気分転換になったんだから。また何かあったら連絡するよ。だから心配しないで」
悠太 「え?どういうこと?」
薫 「ん?」
悠太 「『気分転換』って、どういうこと?」
薫 「あ・・・」
琴 「・・・。」
薫 「それは・・・その・・・」
悠太 「お義姉さん、あなた確かご自分の取材のためにいらっしゃったんですよね?」
琴 「(薫の方を一瞥する)」
薫 「(首を振る)」
琴 「いや、まあ、そうです。取材のために伺いました」
悠太 「だったらどうして、薫がいい気分転換になったから、あなたは帰ってもいいなんていう事が起きるんですか?」
琴 「いや、それはですね」
薫 「私は、夕飯の準備に。」
悠太 「待ってよ。何か隠してるだろ」
薫 「別に」
悠太 「だったら答えられるでしょ?ふつう誤解のないように言うでしょ。こんなタイミングで話そらすようにして料理に行くのって、何かおかしくない?」
薫 「どういうこと?」
悠太 「だから、どうして君がいい気分転換になったから、お義姉さんは帰っていい、なんて言えるかだよ」
薫 「いや・・・それは・・・その・・・」
悠太 「おかしいじゃない。取材だったら普通そうやって人を帰したりしないよね?」
薫 「いや。だから。その・・・その・・・」
琴 「私の方から正直に話します」
悠太 「え?」
薫 「琴ネエ」
琴 「もう無理だよ」
悠太 「『正直に話します』って」
薫 「琴ネエやめてってば。変に誤解されちゃうからさ」
琴 「森下さん。私がここに伺ったのは、あなたの奥さんであるこの薫が、あなたの事で悩んでたから相談相手になってたんです。」
薫 「お願いだからさ琴ネエ」
琴 「本当の所は取材目的じゃないんです。途中でそうなりかけましたが、本当は人生相談に応じるために呼ばれてきたんです」
薫 「琴ネエ!」
琴 「(薫に)もう正直に話すしかないよ、嘘をつけばもっと怪しまれるだけだよ?」
薫 「でも」
悠太 「(薫をじっと見つめている)」
薫 「・・・・・・。」
悠太 「どういう事だよ、これ。え?隠し事してないって確かに言ってたよね」
薫 「ごめんなさい」
悠太 「いや、別に怒ってないけど。なんか、分からないんだよ。確認したいんだよ。オレ何か悪い事した?」
薫 「してない」
悠太 「じゃあ何か不満があるの?」
薫 「不満もしてない」
悠太 「じゃあ何の話をしてたの」
薫 「別に」
悠太 「正直に答えてくれよ」
薫 「別に何でもないったら」
悠太 「何でもないんだったらどうして嘘をつくんだよ」
薫 「ごめんなさい」
悠太 「いや怒ってないから。オレ怒ってるように聞こえるの?」
琴 「(悠太の前に立ちはだかって)まあまあ森下さん、薫はあなたのことを想ってですね」
悠太 「オレの事を本当に思ってるのだったら正直に話せばいいじゃないですか」
琴 「いや、それは・・・」
薫 「それ、どういう事?」
琴 「薫」
薫 「私いつも悠太の事を想ってるよ?あんたの事を想って、いつも気にしてるよ?何でそんなひどい言い方するの?」
悠太 「えっ?」
琴 「落ち着きなって薫、旦那さんはそんなつもりで言ったわけじゃなくて」
悠太 「オレそんなひどい言い方だった?」
薫 「ひどい言い方だよ。もっと気を配った言い方をしてよ」
悠太 「ええ?これ以上気を配れって、例えばどんな気を配ればよかったの?」
薫 「そんなことも分からないの?」
悠太 「何だよその言い方」
薫 「本当に分かってないんだね」
悠太 「お前それマジで言ってるのか?」
琴 「森下さん」
悠太 「俺だって分かろうと努力してんだよ。だからこうして聞いてるじゃないか」
琴 「森下さん」
薫 「はっきり言ってそんなのいらないよ」
琴 「薫!」
悠太 「いらないってどういう事だよ」
薫 「そんなことも分からないの!?」
悠太 「そっちこそ言い方にもっと気遣い持てよ」
薫 「いや聞いてるだけだから」
琴 「やめようよ二人とも!」
悠太 「伝わってほしい事が通じない奴だなあ~、頼むからこっちの話を聞く努力をしてくれよ」
薫 「そっちこそ私の気持ちを知ろうとする努力をしてよ!」
悠太 「だから努力はしてるんだよ~」
琴 「ええかげんにせえや!」
薫・悠太 「・・・・・・。」
琴 「うちはな、あんたらのために来たんや。あんたらがナカヨクなるために、来たんや。なのになんや、このザマは。人に気を遣ってるのやったらな、少しは恩の押し売りをせえへんで相手の事を信じて見たらどうなんや。相手の事を信じようとせえへんから、こんな事になるんやないのお?・・・違うのお?!」
薫 「・・・・・・。」
悠太 「・・・・・・。」
間。
悠太 「でもさ、俺が言いたい事は」
琴 「まだ言うのかおまんは!おまんは薫の言わんとする事が分かっちゃいないぜよ。ナカヨクナリタイダケ。ただそれだけなんだぜよ」
悠太 「あんた何様なんですか」
薫 「ちょっと、いくらなんでもそれは失礼だよ」
悠太 「いや、俺はそういうつもりで言ったわけじゃなくてさ」
薫 「つもりとかつもらないって問題じゃないよ」
悠太 「だから俺が本当に言いたいのは!」
琴 「森下さん!」
悠太 「(琴の方を向く)」
琴 「・・・おらはただナ、森下さんのことを想って、言ってんだべ。その気持ちをくみ取ってほしくて、たまらねえんダア」
悠太 「何で他人であるあなたに、東北弁で説教されなくちゃいけないんですか?」
琴 「じぇじぇじぇ」
悠太 「(八つ当たり)」
琴 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
悠太 「いいかげんにしてくださいよ。他人の家に入っといて、しかも嘘までついて、それだけならまだいいですよ。それに加えて人を悪者扱いして説教した挙句に、何が『じぇじぇじぇ』だあ~!」
悠太、琴に襲い掛かろうとする。それを懸命に食い止める薫。
薫 「やめて、やめてったら!お願いだからやめて!相手の人に失礼すぎるよ!」
悠太 「(薫の方に向きなおして)失礼と言えばお前の方じゃねえか。人の話をまともに聞かないで自分の言いたい事だけ言いやがってよ」
薫 「だから私は」
悠太 「ほらまた主張しようとする。自分が少しキレイだからって調子に乗ってんじゃねえぞ」
薫 「調子に乗ってないよ」
悠太 「だったら人の話を最後まで聞けよ!」
薫 「ごめんなさい!」
悠太 「お前それ何回目だよ。少しは学習しろよ。こっちの言いたい事をもっとくみ取れよ!」
琴 「それはいくらなんでも言い過ぎですよ森下さん」
薫、逃げていくように退場。
琴 「薫!」
悠太 「へっ。どうせすぐに帰ってきますよ、自分ひとりじゃどうにもならないんだからな!」
琴 「(こみあげる怒りを抑えつつ)・・・森下さん。ホント、ホントにお願いですから。ちょっとは向こうの気持ちになってみてくださいよ」
悠太 「(琴を鋭い目で睨む)」
琴 「(悠太の視線に反応して)だっておまん、考えてもミイヤァ。『喧嘩するほど仲がいい』と言うかもしれねえガ、今の世の中はもうそんな時代じゃなか。ドメスティック・バイオレンス、通称DVの時代じゃ、新しい時代の、幕開けなんだゼヨ」
悠太 「そのふざけた言い方やめてくれませんか。」
琴 「・・・・・・。」
悠太 「もう、帰って下さい。ここはあなたの踏み込む領域じゃナイ。帰って下さい。」
琴 「(しばらくじっとしているが)・・・分かりました。」
琴、帰る支度を始める。
悠太 「あーあ、どいつもこいつも自分の言いたい事ばっかり言いやがって。ほんとに困ったもんだぜ」
琴 「(帰る支度をやめて)ちょっと待ってください」
悠太 「あんたは早く帰れよ」
琴 「今までの失礼な行いは謝ります。ですが薫の事をもっと分かってやってください」
悠太 「まるで僕が努力してないかのような口を利かないでくださいよ。」
琴 「そう言う事ではないんです、森下さん」
悠太 「僕はしっかり理解しているつもりです。理解する努力をしています。彼女をしっかり、人として尊重もしています。そしてしっかりと分かってあげているつもりです」
琴 「だったら私とのやり取りも知ってたというんですか?」
悠太 「それは知りませんでした。しかし」
琴 「私とのやり取りは今日に始まった事じゃないんです」
悠太 「大体そうだろうとは思ってます、自分の知らなかった事はこれから知るように努力シマス。『無知の知』という境地へ至ったあの大哲学者・ソクラテスのように、自分もこれから人間として成長していきたくオモッテマス。さあ早くお帰り下さい」
琴 「あのコが本当に帰って来ると思ってるんですか?」
悠太 「僕はそう信じてます」
琴 「私はそうは思えません」
悠太 「ここから先は我が家の問題です、どうか口を挟まないでください」
琴 「薫があなたの描くシナリオ通りに動くようなコだとは、私は到底思えません」
悠太 「僕はシナリオなんか描いてません、出て行ってください」
琴 「森下さん!」
悠太 「いいから出て行ってください!」
琴 「できません!・・・今ここで出ていくわけには、いきません。」
悠太 「(上着のポケットから携帯を取り出して)・・・これ以上言う事聞かないんだったら、警察を呼びますよ。住居侵入罪で訴えますよ。それでもいいんですか?本当に警察を呼びますよ!」
琴 「・・・・・・。」
悠太 「出て行ってください。」
琴 「・・・(出口へ一歩ずつ近づいていく)」
悠太 「(ため息をつく)」
琴 「(出口でぴたりと止まる)」
悠太 「どうしたんですか。早く出て行ってくださいよ」
琴、激しい物音をたてる。悠太、思わず携帯をポトリと落としてしまう。はっとして、急いで落ちた携帯を拾う悠太。
琴、テーブルの上に自分の携帯を置く。
悠太 「?」
琴 「分かりました。出ていきます。ですが最後に、これだけは置いて行かせてください」
悠太 「何のつもりですか」
琴 「私の携帯に、毎日妹がメールに近況を送ってくれていました。このメールの文章の中に、全部、薫の気持ちがこもってます。ここに置いておきますので、読みたかったら読んでみてください」
悠太 「・・・え?それ、薫に許可を取ってるんですか?」
琴 「了解は得てます。いざという時には、これを見せてもいいって言われました。」
悠太 「どうして。」
琴 「え?」
悠太 「どうして、そんな自分の大切なモノをここに置く勇気があるんですか?」
琴 「大切なモノ」
悠太「もしかしたら僕、それを利用して、悪い事をするかもしれないんですよ。」
琴 「・・・それでも、ここに置いておきます」
悠太 「どうして。」
琴 「あなたの事を、信じてるからです。」
悠太 「・・・・・・。」
琴 「読めるようにしておきます」
悠太 「いや、僕は・・・」
琴 「読みたくないんでしたら今読まなくてもいいです。読みたい時でいいですから」
悠太 「迷惑ですよ。人にそんなに気を遣わせたいんですか?」
琴 「そうではありません。」
悠太 「じゃあ何ですか」
琴 「・・・(携帯をテーブルの上に置いておき、)ここにしばらく、置かせてください。」
悠太 「え?」
琴 「置かせてください」
悠太 「・・・そんなに、置きたいんですか」
琴 「はい。」
悠太 「いつぐらいまで。」
琴 「さあ。分からないです。」
悠太 「仕事の方でも使うんじゃないんですか」
琴 「新しくもう一つ買えばいいだけですから」
悠太 「でも、お金は」
琴 「いいんです、そんな事は。」
悠太 「どうして。」
琴 「お二人の幸せを、祈ってるからです」
悠太 「・・・・・・(頭をかいて)ひどい誤解を受けますよ、あなた。」
琴 「ここに、置かせてもらってもいいんですね?」
悠太 「・・・いいですよ。」
琴 「(ゆっくりと、にっこりとした表情になって)ありがとうございます」
悠太 「・・・・・・。」
琴 「本当に、失礼しました。」
琴、その場で一礼して退場しようとすると・・・
悠太 「あの、」
琴 「(その場で止まり)はい。」
悠太 「もう一度、確認しますけど。」
琴 「何ですか」
悠太 「メールは、読んでもいいんですね?」
琴 「はい。」
悠太 「許可は本当に得ているんですね?」
琴 「大丈夫です。」
悠太 「この事がきっかけで、とんでもない事件になるかもしれないんですよ。・・・それでもいいんですね?」
琴 「・・・。」
悠太 「(琴の表情を見て)・・・すいません。こんな、無礼な人で。」
琴 「いえ。」
悠太 「本当に、すいません。」
琴 「・・・・・・。」
琴、ゆっくりと改めて丁寧にお辞儀をして、荷物を持って退場。
間。
悠太、琴の携帯の画面を見始める。
しばらくすると、薫が現れる。
薫 「(悠太を見つめる)」
悠太 「(薫に気付いていない)」
薫 「・・・・・・。」
悠太 「(携帯を操作する)」
薫 「・・・・・・・・・。」
悠太 「(背伸びをする)」
薫 「ただいま。」
悠太 「・・・」
薫 「ただいま。」
悠太 「(薫の方に向いて)・・・ありがとう。」
溶暗。
おわり