ある日、夢の中で… ~気仙沼の街にある、小さなカレー屋~
登場人物
望月康一......アマチュア作家。大学生。文芸部に所属している。
山崎道雄......アマチュア作家。康一の親友で、同級生。
女性......十七歳。女子高生。
男性......女性の父。
その他、ダンサー数人
0
開演前に、一つの歌が流れる。
♪
八月真昼時 カレー屋で
あったかく出迎えた 店員さん
ただただ厳かに 笑み交じりで
三月に起きたこと 教えてくれた
波にのまれた白いビル 残った建物火の海
涙流す元気さえ 奪われたのさ
「来てくれてありがと」と あの笑顔
忘れはしないだろう 気仙沼
波にのまれた白いビル 残った建物火の海
涙流す元気さえ 奪われたのさ
「来てくれてありがと」と あの笑顔
忘れはしないだろう 気仙沼
♪
1
暗い舞台の上に、康一ただ一人がたたずんでいる。
康一「めぐる記憶。放たれる欲望。離れていく肉体。あふれる命。そんな言葉の羅列が浮かぶ途端、僕の中で、一つの物語が紡がれていく。それは、ある少女の物語かもしれないし、ある青年の物語かもしれない。とにかく、僕の中で物語が駆け巡るのを感じるのだ。それは、他の誰にも感じることのできない、とても不思議な感覚。ある日、夢の中で出会った、心踊らされるほどの快感。ある日夢の中で感じた、不思議で素敵な物語。」
音楽。
溶明。
舞台は康一の書斎の中。
どこからともなくダンサーたちが現れて、部屋の中や周辺を踊り舞っていく。
康一「ある日、夢の中で物語がパッと浮かんだ僕は、書斎の中で埋もれているデスクに向かった。そして紙とペンを持って、じっと思い浮かぶがままに物を書いていった。」
ダンサー、舞台中央にデスクを用意する。デスクの上には紙とペンがある。
康一、そのデスクの中にある椅子に座り、さらさらっと紙の上にペンで書きなぐっていった。
康一「しかし違う。何かが違う。夢の中で見ていた時の感覚とは明らかに違うのを、僕は感じた。僕が感じたのはこんな物語じゃない。僕が体感した物語は、こんな話じゃ......」
ピンポン、という呼び出し音。
康一「誰かが来た、と思い、僕は玄関に向かった。すると、そこには親友の道雄がいた。今日は、道雄と僕の部屋で執筆活動をする約束があったのだ。なぜそんなことをするか。何を隠そう、彼は僕と同じ、大学の文芸部に所属しているアマチュア作家だからだ。」
道雄、登場。
道雄「お邪魔しまあっす」
康一「ごめんよ、なんか散らかってて。」
道雄「いいよいいよ。それよりお前、次の文学賞へ出品する作品できたか?」
康一「いや、全然。」
道雄「そうか。」
康一「(独白)僕の大学の文芸部では、自分たちで同人誌をつくるだけじゃなくて、商業文芸誌が公募している文学賞に毎年作品を出すことを主な活動としているのだ。そこで予選を通過する先輩も多いんだけど、あいにく僕や道雄は4年生になっても、予選すら通過できずにいた。作家志望である僕からしたら、それはあるまじき事だ。そういう現状を何とかしなければならなかったのだが、気持ちばかりが先走りして、いつも空回りで終わってしまうのが常だった。」
道雄「それにしても、本当にたくさんあるんだな。ちょっと、さばくってもいいか?」
康一「ああ、いいよ。」
道雄、本棚をさばくりだす。
道雄「なんだこの本。『ラーマーヤナ物語』?面白いの、これ。」
康一「一応読んではいるんだけど、なんか訳が分からない話ばっかりで......」
道雄「何でこんな本を読んでるの。」
康一「これ、映画監督の宮崎駿も読んでたらしくてさ。」
道雄「ああ、なるほどね。」
康一「でも、文字を追うので精一杯なんだよね。」
道雄「そりゃそうだろうな。お前がこんなの読んでるところ想像できないもんな。」
康一「ここにある本は、みんな読みかけのものばかりだよ。いつかは全て読み切りたいと思ってるんだけど、時間がなくて読み切れない本がほとんどで。」
道雄「ま、作家ってのは本を読んでなんぼの世界だからな」
康一「そうなんだよね。」
道雄「でも、こんなに時間があるのはきっと学生のうちだけだよな。社会人になったらもっと時間が無くなるだろうからな。」
康一「そうだよね。全くその通りだと思う。」
道雄「なあ康一、ここで一緒に考えないか?」
康一「考えるって、作品を?」
道雄「そう。共同で作っていかねえか? 小説。」
康一「いや、やめとくよ。」
道雄「そうか。それじゃあ仕方ねえな。俺一人で考えるしかねえか。でもなあ、まだ何も浮かんでこないんだよな。お前何か浮かんできたか?」
康一「実は、浮かんではいるんだ。」
道雄「マジか。」
康一「ああ。けど、実際に書いてみると、なんか違う気がしてさ。」
道雄「ああ、わかるわかるその気持ち」
康一「やっぱりわかる?」
道雄「ああ。俺もそういうこと、結構あるもん。」
康一「そうなんだ。」
道雄「なんかさ、そういうのってすごいイヤな感覚になるんだよな。何というか、自分の中でしかわからない感覚っていうのかな。書いていけば書いていくほどどんどん離れていくっていうか。」
康一「確かにね。」
道雄「どんな話なんだ?」
康一「え?」
道雄「お前の浮かんだ話。どんな作品なんだよ。」
康一「いや、それが。」
道雄「うん。」
康一「その、何というか......。言葉にしづらいなあ。」
道雄「一言ではまとまらないのか?」
康一「まあ、そうだね。」
道雄「じゃあ、まだハッキリと浮かんでる訳じゃないのか。」
康一「まあね。」
道雄「なんだあ。面白くないの。」
康一「大学のやるべきレポートや課題が多すぎてさ。」
道雄「そんなの俺だって一緒だよ。」
康一「いや、その。夢の中ではハッキリと浮かんでたんだよ。」
道雄「夢の中では?」
康一「ああ、ハッキリと。」
道雄「ふうん。そう。」
間。
道雄「夢ってさ、なんか不思議な代物だよな。だって、自分の頭の中で想像しているだけなのに、時々とんでもない状況を見せられることがあるんだからさ。」
康一「まあ、そうだね。」
道雄「夢の世界って、どうなってるんだろ。」
康一「え?」
道雄「夢の世界ってさ、どうなってるんだろうな。」
康一「え、あ......ああ。......(独白)結局この日は、まともに小説の原稿が書けないで終わってしまったのだった。」
暗転。
2
舞台は前場に同じ。
女性の声「(つぶやき声で)お父さん。......お父さん。」
舞台上には康一がただ一人佇んでいる。
康一「......声が聞こえる。誰かの声が、どこかで聞こえる。」
康一の部屋の中で踊り舞うダンサーたち。
そんなダンサーに紛れて、白い服をまとった女性がゆっくりと部屋の中に現れる。
康一「君は、誰。」
女性「......お父さん。」
康一「え?」
女性「あの時は本当に、ごめんなさい。」
康一「え。誰に向かって言ってるの?」
女性「お父さん......」
康一「ねえ。」
女性「私はここにいるよ、お父さん!」
康一「君は一体、誰なんだ......?」
女性「お父さん......。」
康一「君は一体......」
女性「お父さん。お父さん......。」
女性、ダンサーの中に紛れてスーッと消えていく。
康一「待って!」
康一、女性を追いかけようとする。
すると、舞台は普通の康一の部屋に戻る。
舞台上には康一以外、誰もいない。
ピンポン、という呼び出し音。
道雄の声「康一―ぃ。康一―ぃ。」
康一「......今のは、夢なのか?」
道雄の声「康一~ぃ!」
康一「あ、ごめんごめん。入っていいよ。」
康一、退場。
間。
道雄の声「お邪魔しまぁす」
康一、道雄登場。
道雄「筆の調子はどうだ、康一」
康一「いや、全く。」
道雄「そうか。実は俺もそうなんだ。」
康一「そう。」
道雄「今日こうしてまたここに来たのはさ、ネタ探しにお前の本を読みに来たんだけど。いいかな。」
康一「え?ああ。別に構わないよ?どうぞ。」
道雄「失礼しま~す」
道雄、本を読み漁りだす。康一にサスが当たる。
康一「(独白)小説を書き始めてからおよそ5日は経過した今日。この日は、なぜかあの女の子の声が耳に残って仕方がなかった。どこからともなく現れたあの白い服の女の子。きっとまた夢でも見ていたに違いない。しかし、夢にしては臨場感のある夢だった。もし僕の聞いたあの声が夢だというのなら、きっと僕のインスピレーションが生んだ幻聴だったに違いない。しかし、あの声はどこかで聞いたことのある声だった。それはきっと、前に見た夢の中で現れた物語と何か関係するのかもしれない。そう思いながら、僕はボールペンを手にして紙に文字を書いてみた。(紙に文字を書きだすが、途中で筆を止めて......)いや、違う。何かが違う。僕が感じたのはそんなものじゃない。もっと複雑で、もっとモヤモヤしたものだった。どうしてだろう。そして僕が感じたあの感動は、もっと衝撃的なものだった。どうしてなのだろう。僕は何かを感じているはずなのに、それを言葉にすることができない。まるで、誰かが僕を阻んでいるかのように......。」
道雄「面白い本だな、これ。」
照明が元に戻る。
康一「え?」
道雄「このヨーロッパ中世史。いろんなことが書かれてあって面白いな。お前も読んだんだろ、これ?」
康一「いや、まだ読めてないんだ。」
道雄「え、そうなの?」
康一「うん。なかなか時間が取れなくて......」
道雄「ああ、そういえばこの前もそんなこと聞いたな。ここにある本、まだ全部は読めてないんだろ?」
康一「まあね。」
道雄「もったいねえな。こんなにいい本があるってのにな。」
康一「まあ、確かにそうだね。」
道雄「よく手に入れたもんだな。」
康一「いやあ、たまたま古本屋で安く売られてあったもんだからさ。これを逃すわけにはいかないって思って。」
道雄「そうなんだ。古本屋にね。」
康一「でも、そういう本があっても読み切るのって難しいんだよね。」
道雄「まあ、そりゃそうだろうな。何かと文字が多いしな。」
康一「でしょ? だもんで、1ページで終わってしまうなんていうこともザラでさ。」
道雄「なるほどな。」
康一「ああ、どうしよう。」
道雄「どうしようって、執筆のことか」
康一「うん。どうしよう。」
道雄「どうしようって言ってもなあ。」
康一「まあ、それもそうだよね。」
道雄「何か、本を参考にしてみたらどうなんだ?」
康一「やってみたけど、どれもみんな駄目だった。民話とか神話、戦争体験の本まで読んではみたけど、どうも集中力が続かなくてさ。」
道雄「なるほど。」
康一「はあ、ホントどうしよう......」
道雄「確か、書き始めたやつもあるんだろ?」
康一「まあね。でも何かが違っててさ。」
道雄「ふうん。」
康一「なんていうのかな、こう。シーンは浮かんでくるんだけど、そのシーンの続きが書けないんだ。分かるかな、何か向こうの世界から声が聞こえるっていうか。」
道雄「声が聞こえる?」
康一「そう。夢の中で、女の子の話す声がどこからか聞こえてくるんだ」
道雄「女の子?」
康一「そう。十七歳ぐらいの女の子。」
道雄「へえ。どんな話をしてたの。」
康一「それが分からないんだ。夢の中では、ハッキリと声が聞き取れて、物語のネタにするにはもってこいの話が浮かんできたんだけど。それが......。」
道雄「なかなか思い出せないってことか。」
康一「ああ、そうなんだよ。」
道雄「どんな顔してたの、その女の子。」
康一「なんか、悲しそうな顔だった。それで誰かに言いたそうな様子で、見ててすごいかわいそうだった。」
道雄「そうか......。じゃあ、それをまず書いてみたらどうだ?」
康一「え?」
道雄「だから、お前がその夢の中で浮かんだことを文章にしてみるんだよ。」
康一「え。でもまだプロットもできてないし。」
道雄「そんなのは後でどうにでもなるって。まずは書いてみなよ。」
康一「でも......。」
道雄「(ため息をついて)......ほら。紙とペンが目の前にあるんだから。まずは筆を進めてみろ。きっと見えてくるものがあるぞ。まずお前の場合は、その夢に出てきたことを漠然と文章にすることから始めた方がいいよ。」
康一「どうして、そんなことが分かるんだ?」
道雄「実際俺がそうだったからさ。」
康一「え、道雄プロットも立てないで書いてるの?」
道雄「ああ、基本的にはな。ちょっと本借りるね。俺も何か浮かんできたから。」
康一「え、あ、ああ......。」
道雄、康一の本を読みながら紙に文章をしたためだす。
康一、自分の目の前の紙をじっと見つめる。
康一「......(独白)正直、自信がなかった。この紙の上に文章を書くのが、とても怖いとさえ思っていた。でも、時間は刻々と迫っていた。また原稿と向き合いもせずにいると、そのまま時が過ぎ去っていくだけだ。しょうがないから、僕は再び彼の言われるがままに、原稿に向かって筆を進めだした。」
康一、紙に文章をしたためだす。
しばらくすると、どこからか女性の声が聞こえてくる。
女性の声「お父さん、ごめんなさい。」
康一「聞こえる......。さっきまで感じなかった声が、この胸の中に響いてくる。僕は、その声の感じるがままに筆を進めた。するとそこには、今までの僕には見えていなかった世界が広がっていた。物語の世界が、開けてきたのだ!」
康一、猛スピードで筆を進め出した。
しばらくすると、康一は自分のパソコンを取り出して何か調べ物をしだす。
そして、彼は再び筆を進める。
すると、どこからか白い衣装をまとった女性が登場する。
女性「お母さん。私もお母さんと同じ世界へたどり着いちゃった。大事なお父さんをあとに残して。本当にごめんなさい......お父さん。あの時、もっとお父さんの言うことを聞いてればよかった。あの時もっと、お父さんの言うことに素直になっていればよかったのに。こんなわがままだった私を許して。......今でも浮かんでくる。あのお父さんが経営していたカレー屋さんが。今ここに目の前にあるようで、いまもその店の中にいるような感覚で......あの頃が、つい昨日のことのよう。」
舞台転換。
3
舞台は小さなカレー屋。
男性がキッチンで料理をしている。
男性「やれやれ。今日も客はすいてるな。まあ、この街はめったによそ者が来ないことで有名な地域だからな。ああ、やんなっちゃうやんなっちゃう。」
男性、自分で作ったカレーををよそいだす。
男性「皮肉なもんだよ。もとはお客様のためのカレーだってのに、自分で食うことになるんだから。自分で始めた店だとはいえ、いつまでもカレーばかりだと飽きちまうな。ちょっと、隣の八百屋にでも行ってきて、漬物でも買ってくるか。でも、その間に客が来たらどうしよう。いや、来ないな。俺は来ない方に賭けよう。うん。来ない来ない。」
男性、退場。
間。
車が通りすぎていく音。
男性、再び登場。男性の手には漬物が入った袋が提げられている。
男性「ほらな。やっぱり来なかった。この街も落ちぶれたもんだよ。誰一人来やしねえ。これじゃ世も末だよ、全く。本当に寂しくなったもんだ。今じゃ仕事も東京、娯楽も東京なんだもんな。なんだよ。あんな街のどこがいいってんだ。そりゃ、確かにこの街は老いぼれが増えたさ。この街はちょっと、昭和の雰囲気が残ってるさ。けどな、俺たちがいくら古臭くてむさ苦しいからって、地元を捨てるこたあねえだろうがよ。俺たちがせっかく守ってきた街なんだ。もっと大切にしてほしいもんだよな。」
女性、登場。
女性「ただいまあ。」
男性「オウ、京子。おかえり。」
女性「今日もまたお客さんが来てないの?」
男性「そうなんだよ。だから仕方ねえから、自分が客人になってるところなんだ。」
女性「くだらない冗談言ってないで、ちゃんとしなよ、お父さん。もしもお客さんが見えたらすぐ逃げられちゃうよ?」
男性「いいんだいいんだ、どうせ来やしないんだから。」
女性「そんなこと言わないの。ほら。私が店番するから。」
男性「いつもワリィな、京子。売れてもない店の番をさせちまってよ。」
女性「いいよ。それじゃあ、私ちょっと着替えてくるから。ちょっと待っててね。」
女性、退場。
男性「まったく、いい娘に育ったもんだ。これは未来が明るく開けてくるな、うん。ここまで育てるのに、本当に苦労したなあ。ほんと大変だった。亡くなった母さんの気持ちがよくわかるよ。あいつが死んだ時には、京子は確か......3歳だったかな。それ以前までは、俺はホント、飲んだくれたバカ親父だった。いつも仕事のせいにして、あいつに家事を押し付けてばかりだった。今考えてみれば、もっと自分から手伝ってやればよかったな。ああ......時の流れとは早いものだ。愛娘の京子ももう十七歳。ランドセルをしょっていた頃のアイツがつい昨日のことのようだ。はあ。本当に早いものだな。時間ってのは。」
女性、登場。
女性「着替えてきたよ、お父さん。」
男性「オウ。それじゃあ店番の交代をお願いするか。」
女性「......今日、土曜日だよね?」
男性「ああ、そうだよ。」
女性「土曜の真昼間なのに、お客はひとりも来ないんだね。」
男性「まあな。この辺も本当に廃れたってもんだよ。」
女性「大丈夫かな、これから。」
男性「なに、大丈夫だよ。この辺はあの気仙沼みなとまつりで有名な所なんだ。アレがあれば必ずにぎわうんだから。」
女性「だといいんだけど。」
男性「お前も知ってるだろ。あの祭りにはな、珍しく若い奴らがどっと集まる催し物がいっぱいあるんだ。だから何とかなるんだよ」
女性「けど......」
男性「大丈夫。何とかなるさ。」
女性「......。」
男性、昼食を食べだす。
女性、うつむいた表情で料理の準備を行う。
女性「にぎわうったって、ほとんどが地元の人ばかりなんでしょう?しかもウチのような店に来る人だって限られてるし。そんなんでお父さん、この店本当にやってけるの?」
男性「......。」
女性「お父さん。やっぱり、私出稼ぎに行くよ。都会の優良な所に就職して、ちゃんとした稼ぎのできる仕事につくようにするよ。」
男性「......。」
女性「ねえ、お父さん。」
男性「駄目だ、都会なんて。仙台や東京にはな、変なおじさんばかりがうろついてるんだぞ?一人暮らしになった時なんかはホント大変なんだぞ?それに引き換え、ここだったら父さんがいる。だからここの方が一番安全なんだ。」
女性「誰も来ない田舎の店では生きていけないじゃない」
男性「そんなことはねえ。」
女性「そんなことあるよ。お父さん、私やっぱり都会へ出るよ。」
男性「行かなくてもいい。何とかなってんだから。昼は食べたか」
女性「コンビニで済ませた」
男性「そうか。今の世の中は何でもコンビニだもんな。コンビニのどこがいいんだ。」
女性「お父さん。そうやって批判ばかりするのはやめてよ。」
男性「だってよお前。コンビニにはな、まともなものがちっとも入っちゃいないんだぞ? 保存料とか香料とか、添加物をバンバン使った食品なんて、誰が欲しがるんだ。やっぱり料理は、家庭料理が一番だ。家庭料理ができない日は、ここのような店に気軽に来ればいいってのに。何で皆、それが分からないんだろうな。」
女性「お父さん。」
男性「だってそうだろ。俺、何か間違ってること言ってるか?」
女性「......。」
男性、昼食を終えて食器を片付ける。
男性「ごちそうさま。あとは任せたぞ、京子。」
女性「......うん。」
男性、退場。
女性「......お客一人来ない店なんて、もう店じゃないよ。今はまだやっていけるかもしれない。けど、いつか必ず終わりが来ちゃう。そうなる前に、早く仕事を見つけなくちゃ。まだ私は高校生だから、勉強にだけ集中すればいいんだろうけど。でも、やっぱり、不安だよ。これから先、この家がどうなるかが、不安だよ......。私は、まだ社会のことをよく知らない。世間のこともよくわかってない。でも、今が大変な状況になってるって事だけは、手に取るように分かる。今の時代は、都会しかない。都会へ出て、故郷を捨てて、競争の中を生き抜いていくしかない。もう、この店に、希望はない......。」
暗転。
4
舞台は、康一の部屋の中。
道雄は、原稿を書きながら、康一の本を読みふけっている。
康一は、じっと原稿に向かい筆を進めていたが、やがて筆が止まり、パソコンで調べ物をしだす。
道雄「何を調べてるんだ?」
康一「気仙沼について調べてるんだよ。」
道雄「気仙沼?」
康一「ああ。気仙沼って知ってる?」
道雄「ああ、名前だけは。確か、あの東日本大震災で被害を受けた、東北地方の街の一つだったよな。」
康一「そう。いま僕は小説で、そこの小さなカレー屋について書いてるんだ。」
道雄「お、ついに筆が進みだしたか、康一。」
康一「ああ。おかげで面白い作品になりそうだよ。」
道雄「ほらな。やっぱり言った通りだろ。」
康一「ああ、そうだな。やっぱ書いてみるもんだよ。」
道雄「よ! 傑作の長編をお待ちしてますぜ!」
康一「いや、あいにく今回は、短編になりそうだよ。」
道雄「ああ、そう。......どんな話が書けたんだ?」
康一「それがね、気仙沼の、あるカレー屋の娘の話を書いてるんだ。」
道雄「カレー屋の娘の話?」
康一「ああ。」
道雄「へえ。お前、気仙沼に行ったことあるの?」
康一「まあね。ちょっと、作品の取材で、ずっと前に。」
道雄「作品の取材?」
康一「そう。震災についての小説を書こうと思っていろいろ調べた時、あるネットのブログを見つけてさ。そのブログによると、東北の現状を知るには現地へ行くといいって書かれてあって。それで僕は、宮城県の被災地に行ったんだ。」
道雄「なるほどな。で、どうだったの、その取材の方は。」
康一「僕が行ったのは二〇一二年の時だったんだけど、復興がまだ全然進んでいなかった頃でさ。でも、気仙沼は案外被害を受けていないところも結構あって、津波でやられてるところとそうでないところとのギャップをすごい感じさせられたんだ。」
道雄「そうなんだな。お前、その取材で分かったことから作品をつくるつもりだったんだ。」
康一「そうだね。ずっと頭の隅に残してはいたね。けど、今まではどうも作品として完成はできないでいたんだ。」
道雄「まあ、そりゃそうだろうな。何しろ調べるのが大変だろうから。」
康一「まあね。けど、それだけじゃないんだ。」
道雄「それだけじゃない?」
康一「ああ。何というか、あの時の段階では表現しきれない、何かがそこにあったんだ。」
道雄「表現しきれない、何か?」
康一「そう。」
道雄「それって、どういうこと?」
康一「その、なんていうのかな。あそこでは数々の、気仙沼の人たちのドラマを感じたんだ。」
道雄「気仙沼の人たちのドラマ。」
康一「そう。あの人たちがどういう気持ちで暮らしていたのかを、じかに感じさせられたんだ。」
道雄「それって、どんなドラマなんだ?」
康一「わからない。なんか言葉にしづらくてさ。でも、これだけは言える。とても寂しく、悲しいドラマだって事を。」
道雄「ふうん。寂しく、悲しいドラマか......。それは、取材で分かったことなのか?」
康一「いや。あの人たちが自分から話をしてくれたんだ。」
道雄「自分から?」
康一「ああ。」
道雄「そうなんだ。例えば、どんなこと言ってたんだ?」
康一「例えば、僕が行った気仙沼のカレー屋の主人は、自分の地元のことを『寂しがり屋の街』だって言ってた。」
道雄「寂しがり屋の街?」
康一「そう。」
道雄「それって、過疎地域だからなのか」
康一「それもそうかもしれないけど、それだけじゃないように思えた。」
道雄「どういうこと?」
康一「インターネットで調べると、気仙沼には魅力あるスポットがいろいろとあるんだよ。海水浴場とか山だけじゃなくて、展望レストランとかもあってさ。それに8月には、『気仙沼みなとまつり』っていう祭りが盛大に行われて、街頭パレードがあったり、屋台もいろいろと並んだりするみたいでさ。その様子が動画で投稿されてるんだよ。(パソコンの画面を見せて)ほら。動画で見てもほとんどが若い人たちでしょ?」
道雄「ホントだ。子供連れまでいるよ。」
康一「そう。だから、少なくともそんなに深刻な過疎地域ではないんだよ。」
道雄「石巻とは状況が違うみたいだな。」
康一「ああ。東北でもいろいろと違うみたい。」
道雄「そっか......。だったら、何でその人は、そんな気仙沼を、『寂しがり屋の街』だなんて言ったんだろうな。」
康一「さあ。それが分からないから、いろいろと考えてるんだけど。」
道雄「......よっぽど話し相手が欲しかったのかな。その人は。」
康一「......そう、かもね。」
間。
道雄「もう一丁、書いてみるか。」
康一「え?」
道雄「俺も書いてみるよ。小説を。」
康一「あ、ああ......。」
道雄、紙とペンを持って小説を書き始める。
自らの書いた原稿を手にする康一。
康一「(独白)小説の神様というのは本当に気まぐれだ。浮かぶときはすぐに浮かぶのに、浮かばない時は全然浮かばない。たとえ浮かんだとしても、手がついていけないなんていうことは日常茶飯事で、作家というのは本当に大変な仕事だなと、つくづく思う。でも、今回は道雄のおかげなのか、すごく集中できた。この原稿と向かう時、この物語のモデルである、あの気仙沼のカレー屋のことを思い出した。」
康一、自分の部屋からスーッと離れていく。
舞台転換。
5
舞台は、気仙沼の小さなカレー屋。
男性が調理を行っている。
康一登場。
康一「誰もいない、寂しげな雰囲気を漂わせた小さなカレー屋。けど、不思議と何でか、その光景が美しく見えてしまった。昔ながらの情景というのはこういうことを言うのかもしれない。昭和を知らない平成生まれの僕にとっては、あの古びた感じの店の一つ一つが新鮮に見えた。そして、僕の父や母もこういう光景の中で生きてきたのだなと、そう実感させられたのだ。まるで昭和の時代にタイムスリップしたみたいに、あの気仙沼のカレー屋からは、不思議と懐かしい雰囲気を受けたのだ。」
男性「いらっしゃい。お好きな席へどうぞ。」
康一「ああ、はい。」
康一、席に座る。
男性、康一にメニューを持って近づいてくる。
男性「これ、メニューね。」
康一「はい。ありがとうございます。(メニューを一瞥して)それじゃあ、ビーフカレーの並盛りをお願いします。」
男性「はいよ。」
男性、キッチンに入って調理をしだす。
男性「あんた、見慣れない顔だね。どこから来たんだい。」
康一「愛知県の豊川から来ました。」
男性「やっぱりそうか。地元の人とは口調が全然違うからな。」
康一「そうなんですね。」
男性「あんた、ボランティアで来たのかい?」
康一「いや、そういう訳じゃないんです。」
男性「ホウ。じゃあ、観光客ってことか。」
康一「はい。そうなんです。」
男性「この辺で観光客が来るとは、珍しいよ?」
康一「そうなんですか?」
男性「ああ。......気仙沼は、寂しがり屋の街なんだ。この辺はめったによそ者は来ない。とりわけ、東北以外の地域の人からはな。」
康一「そうですか......」
男性「あんた、やっぱりあれを見に来たのか? その、被災された状況を。」
康一「ええ、まあ。」
男性「やっぱそうか。あれは、本当にひどい被害だったもんな。」
康一「はい。僕も実際に見てみて、そういうのを強く実感しました。」
男性「でもここはまだいい方だろ?」
康一「そうですね。隣町なんか見ると、もう真っ平でしたもんね。」
男性「隣町のあそこらへんは、陸前高田っていうんだけどな。本当にひどいもんだった。何しろこの辺はリアス式海岸だからよ。水が一気に押し寄せてきてよ。それがただの波じゃねえ。ぐるぐるにまかれた波だったからよ。それだから、車や家なんてすぐのみ込まれちまったんだ。あれは何とも言えない光景だった。」
康一「(独白)気仙沼のカレー屋のおじさんは、こちらが促していたわけでもないのに、自分からあの震災の話を教えてくれた。よっぽど人に話したかったのだろう。その人の話を聞いてると、まるで小学校の時に聞いた、あの戦争体験を話している語り部のおじいさんを思い起こされた。そんな語り部のおじいさんの話のように、とても実感のこもった悲惨な光景が、おぼろげながらにも浮かんできた。(舞台を離れる)今、僕はあの時のことを思い返しながら、拙いながらの文章を書きしたためた。それは、誰かが求めているわけでもなく、自分もただの義務で書いているわけでもない。ただ、あの時そのおじさんが見ず知らずの僕に熱く語りかけてくれたように、僕もまた、誰かに語りたくなってきただけなのだ。そんな熱いものを強く感じながら、僕は筆を進めていくのだった。そしてまた聞こえてくる。どこの誰かも分からない、誰かの声が。」
舞台中央には、康一の部屋のデスクがある。
康一、筆を進め出す。
ダンサーたちが現れる。
ダンサー全員「私は、ただボーっと見つめていた。」
ダンサー1「あの燃える炎を見つめながら。」
ダンサー全員「私は、ただボーっと見つめていた。」
ダンサー2「涙も流さず、何も感じず。」
ダンサー全員「私は、ただボーっと見つめていた。」
ダンサー3「崩れていく家をただ見るよりほかなかった。」
ダンサー全員「波にのまれたビルディング、残った建物炎の海。涙流す元気さえ、奪われたのさ」
ダンサー1「あの時の私は」
ダンサー全員「涙を流す元気さえ、奪われたのさ。」
ダンサー3「街や人が」
ダンサー全員「奪われたのさ」
ダンサー2「何もかもが」
ダンサー全員「奪われたのさ」
ダンサー1「でもなぜか」
ダンサー全員「でもなぜか」
ダンサー3「感じてしまった」
ダンサー全員「感じてしまった、空っぽの心。」
女性登場。
女性「ああ、あの頃がとても懐かしい。あの気仙沼から見える海辺や波、地元の人たちでにぎわった気仙沼みなとまつり! ひゅうっと夜空で散っていく打ち上げ花火が、今も私の脳裏で浮かんでくる。あの花火を見て、私はいつも高校時代の夏を充実していた。そんな花火で彩られ、踊りや祭りでにぎわっている中で、お父さんはただ地道に、あのカレー屋を経営し続けていた。お父さんは、みなとまつりの花火に目を向けることなく、ただひたすらカレーをつくっていた。ああ。私はもう死んでしまっているけれど、お父さんは今頃何をしているのだろう。きっと悲しんでいるに違いないわ。お父さん! ......今ならわかる。生きているうちには感じられなかったあの有難さと、あの時に感じた申し訳なさが、いまの私にどっと押し寄せてくる。そう、まるで私を包んだあの津波のように。私を取り巻いた、あの、車のガスタンクから放たれた、地獄の炎の海のように......!」
女性、次の舞台へゆっくりと歩んでいく。
6
舞台は、気仙沼の小さなカレー屋。
男性はボーっとキッチンの台の上に肘をつけている。
女性登場。
女性「お父さん。」
男性「......ああ、京子か。おかえり。高校のほうはどうだったんだ。」
女性「なかなか忙しいよ。春休みの課題もいっぱいあるし。お父さんの方は?」
男性「見ての通りさ。暇で仕方ないよ。」
女性「そうなんだ。それは大変だね......。」
男性「でもな、京子。去年のみなとまつりでは結構お客が入ったんだ。もう、この店の中いっぱいの人でな。すごかったぞ?」
女性「お父さん......。」
男性「父さんが言った通りだっただろ? この店の家計は、今こそギリギリではあるものの、こんな店にも希望はあるんだ。」
女性「お父さん。」
男性「この調子で、地元の町おこしにもっと活気がつけば。」
女性「お父さん!」
男性「......何。どうした。」
女性「......あのね、お父さん。お父さんに、話があるの。」
男性「話?」
女性「そう。」
男性「どんな話なんだ。」
女性「私、これからの就職先について、先生と相談して考えたんだけど。私やっぱり、東京へ行くことにしたの。」
男性「......東京?」
女性「実を言うと、私、どうしても街中へ出てみたかったの。ここよりももっと豊かな、都市圏の街に。東京へ出て、もっとお金を稼いで、もっと豊かな生活を送りたいの。」
男性「京子、お前...」
女性「ほら。東京には有名な人の舞台公演もたくさん行われてるし、イルミネーションもとてもきれいだって聞くし、いろいろと便利だし。それに、今のままだとお父さんの店は潰れちゃうし。」
男性「なんだと!?」
女性「だって、確実に少なくなってるじゃない!」
男性「......。」
女性「私、知ってるんだよ。東北って、ほとんど全部が過疎地域になってるんでしょ?」
男性「気仙沼は違う。」
女性「今は違うかもしれないけど、ここもいつかはそうなるわよ」
男性「そうはならない!」
女性「なるよ! ていうか、なってるよ! 私の年代の人はほとんど東京へ仕事先を見つける人が多いし、他の年上の人たちはみんな都会へ出ていってる、そんな状況になっているのに、どうしてそんなこと言えるの!?」
男性「......。」
女性「ここは、テレビにもあまり映ってないじゃない。誰も注目してないこんな田舎町のどこに、他のお客さんは魅力を感じるの? 何もないこんな田舎で!」
男性「......。」
女性「お願い、お父さん。私を東京で働かせて。お願いだから、私をこんな田舎町の中に縛り付けないで。」
男性「......京子。お前、この店が好きだったんじゃなかったのか? この街が好きだったんじゃなかったのか? 地元が好きだったんじゃなかったのか!?」
女性「......私だって、出来るものなら離れたくないよ。でも、現実を見なくちゃ。」
男性「店のことは心配ないさ、京子。だからわざわざ都会へ出なくてもいい。」
女性「嘘。うちの店にいつもお客が来てないのに、黒字なワケないじゃない。」
男性「金は天下の回りものだ。そのぐらいどうにかなるさ。」
女性「よくそんなこと言えるよね。ウチが大きな借金をしてるっていうのに。」
男性「京子。何でそれを......」
女性「私、知ってるんだから。二階の部屋で、下の方から借金取りの取り立てのやり取り、ちゃんと聞こえてるんだよ? 何度も頭下げて、今でも高額のお金を借りてるんでしょ?」
男性「......でもな京子。」
女性「お父さんの都会嫌いはよくわかるけど、今はそんなことを言ってる場合じゃないよ。お父さん。私を都会で働かせて。東京で働かせてよ、お父さん。」
男性「駄目だ。」
女性「お願いだよ、お父さん。」
男性「絶対だめだ。」
女性「......お父さんが駄目だといっても、私は出ていくよ、この街を。卒業したらね。」
女性、店の奥へ行く。
男性「京子......そんなにこの街が嫌いになったのか。そんなにこの店がイヤになったのか! 地元を大切にしようという気概はこれっぽっちもないのかよ! 確かに、今の気仙沼の街は、人が少なくなってるさ。確実に少なくなってるさ。けどそれが何だ。人が少なくなったからこの街を出るというのか。金持ちになりたいから都会へ出たいってのか!」
女性、再び登場。
男性「俺の話を聞いてんのか、京子!」
女性「今から陸前高田へ行ってくる。」
男性「待てよ。まだ話が終わってないだろ」
女性「もう終わったよ。私は東京へ行くことにした。それで終わり。」
男性「そんなに都会が好きなのか。そんなに地元が嫌なのか」
女性「お願い、行かせて。」
男性「地元でやる仕事は探せばあるだろう」
女性「さんざん学校やネットで調べつくしたよ。けど、この街では私のやりたい仕事はなかったの」
男性「京子。」
女性「それじゃあ、私、隣町の陸前高田へ行ってくるから。」
男性「お前の夢は、この店を継ぐことじゃなかったのか! そのために調理の専門学校へ進学しに行くんじゃなかったのか!? 中学の時まで抱いていたお前の夢は、どこへ行っちまったんだ!」
女性「............。」
女性、退場。
間。
大声で嘆く男性。
男性「また一人、この街から消えてしまう......。しかもよりによってウチの愛娘が、何で東京なんかに! 確かに父としては、娘の夢を叶えてやるのが道理だ。でも、あいつが今言ってるのは、本当に自分が叶えたい夢なのか......? 小さい頃はこの店を継ぎたいと言ってくれていたあの京子が。こんな小さなカレー屋をずっと愛してくれていたあの看板娘が、何でああなっちまったんだ......。一体どうしちまったんだ! ......俺のせいだ。俺が不甲斐ないものだから、あの子の夢が捻じ曲げられちまったんだ。ああ。これからどうすればいいんだ。俺は一体、これからどうすればいいんだ......!」
その時、地面が揺れる音がする。
動揺する男性。
男性「なに。どうしたんだ? 俺の立ちくらみか? いや、違う。......地面が、揺れてる......?」
暗転。
7
暗い舞台の上にあるデスクの上で、原稿を書き進めている康一にサスが当たる。
康一「進む筆先。舞い踊る登場人物たち。浮かんでくるフレーズ。僕はあの時のことに思いを馳せながら、物語を書き進めていく。あの時に行った小さなカレー屋のおじさんを思い浮かべながら、この拙いフィクションを書き進めていく。そして物語は、一つの大災害によって急展開を迎え、終盤へと向かっていく!」
康一、思いっきり原稿に文字を書きなぐっていく。
ダンサーたち、舞い踊りながら登場。
ダンサー全員「揺れる大地、揺れる人々、揺れる人々の心。」
ダンサー1「二〇一一年三月十一日、突如として東北に襲いかかってきた。」
ダンサー全員「揺れる大地、揺れる柱、揺れる商店街。」
ダンサー2「誰もが夢を見ているのではないかと思うほどの、大きな地震。」
ダンサー全員「傾く電信柱、止まる車たち。」
ダンサー3「地震が止むと、街中に警報の声が聞こえてきた。」
ダンサー全員「間もなく津波がやってきます。至急、高い所へ避難してください! 間もなく津波がやってきます。高い所へ避難してください!」
溶暗。
ダンサーたちの悲鳴。
溶明。
舞台は山の中。
男性、登場。
男性「(ハアハア言いながら)いやあ、びっくりした。でもこれぐらい高い所まで来れば、さすがに大丈夫だろ。いやあ。それにしても人が多いな。気仙沼って、意外とまだこんなに人がいるんだな。」
ダンサー1「ああ! 津波がやってきた!」
ダンサー2「ああ! 家が!」
ダンサーたち、舞台上で舞い踊る。
ダンサー全員「襲いかかる津波。流されていく家や店。赤く染まっていく水の色。」
女性「助けてえー!」
女性登場。
女性はダンサーの舞の中にまぎれて、一生懸命助けを求めている。
男性「あ、今の声は京子の声じゃなかったか? やっぱり京子だ! あっちの街は飲まれちゃったんだ。京子! 京子!」
ダンサー4「いけません! ここから先は危ない!」
男性「どいてくれ! あそこに娘がいるんだ!」
ダンサー4「駄目なものは駄目です!」
男性「しかし!」
女性「お父さあーん! お父さあ~ん!」
男性「京子! 京子~!」
女性「お父さあ~ん!」
女性、ダンサーたちの舞の中にグングン飲まれていく。
ダンサー全員「波にのまれた白いビル。残った建物炎の海。これは夢に違いない。これは夢だ! 夢に決まっている!」
ダンサー1「言葉にできない叫び声。言葉にできないこの惨状。」
ダンサー全員「何もかも奪われた絶望の災い。これは夢だ! 夢に決まっている!」
男性「夢じゃない。これは、夢じゃないんだ......。」
ダンサー全員「これは夢だ! 夢に決まっている!」
男性「間違いない。夢じゃない......。」
ダンサー全員「これは夢だ! 夢だ! 夢じゃなければ何なんだ! 何で俺が! 何で俺たちが!」
ダンサー2「ああ、これこそ大地の怒り!」
ダンサー3「なんと恐ろしき大津波!」
ダンサー全員「天災! 震災! 大震災! 天地未曽有の大災害!」
デスクの上で、原稿に筆を進め続けている康一。
康一「夢の中で思い描き続けてきた強い想いが、一つの物語につながっていく。夢にまで思わなかった悲惨な光景が広がり、夢の中で叫び続けてきた登場人物たちの声が、紙の上で文字として踊り出す。いや、踊っているのではない。むしろ踊らされていると言った方がいいのだろう。僕の頭の中で、大きな津波が押し寄せていく。あのガソリンタンクから漏れ出る石油から放たれた、地獄のような炎の海が、僕の目の前に広がっていく!」
ダンサー全員「ボ~! ボオ~! ボオオ~!」
間。
康一「......こうして、僕の頭の中の炎は消えていった。あの歴史的大災害に思いを馳せながら、僕の作品は確実に終わりへと向かっていく。物語はついに、ラストを迎えるのだ。」
溶暗。
8
舞台は康一の部屋の中。
部屋の中には康一と道雄がいる。
原稿を書き終えて、ふうっとため息をつく道雄。
道雄「なかなかいい作品が書けてきたぞ。お前はどうだ、康一。」
康一「こっちもなかなかだよ。あともうちょい。」
道雄「そうか。それじゃあこの調子だと、文学賞への出品には間に合いそうだな。」
康一「ああ。そうだね。」
道雄「よし。俺、あとは自分の部屋で原稿を書くよ。今日はありがとな。」
康一「こっちこそ。おかげで集中して書けたよ。」
道雄「持つべきはやっぱ友だな。」
康一「ああ、そうだな。」
道雄「じゃ、お邪魔しました。」
康一「うん。ありがとね。」
道雄、退場。
康一、書きあがった原稿を見ながら背筋をそり返す。
康一「さて。この原稿もあと少しで完成だ。どうやってラストを書いていこうかなあ。」
女性の声「お父さん。」
康一「! ......今の声は何だ? 空耳か?」
女性の声「お父さん......お父さん......」
康一「いや、空耳じゃない。すごくハッキリと聞こえる。でも、いったいどこから...」
そこに、女性が突如として現れる。
女性「お父さん!」
康一「え?」
女性「......ここはどこなの?」
康一「君は、もしかして。京子ちゃん?」
女性「え......? どうして私の名前を?」
康一「やっぱりそうなんだ。京子ちゃんなのか。」
女性「あなたは誰?」
康一「あ。申し遅れました。アマチュア作家の望月康一です。どうぞよろしく。」
女性「はあ。」
康一「ところで君、さっきから何かつぶやいてるみたいだけど。何をつぶやいてるの?」
女性「え、聞こえてたの?」
康一「ああ。君の声は、僕の意識の中でずっと聞こえてた。」
女性「あなたは一体......。」
康一「僕は大した人間じゃないよ。大学の文芸部に所属している、しがない作家さ。あと強いて言うなら、本をため込むだけため込んでおいて、こうして読み切ることができないまま放置してしまう、情けない読書家ってとこかな。」
女性「放置って、ここにあるの本のこと?」
康一「そう。一応ここは、僕の書斎だからね。」
女性「へえ、そうなの。私、作家さんの部屋の中初めて見た。」
康一「そうなんだ。まあ、僕はそんな売れっ子の作家ではないんだけどね。」
女性「そう? 世の中には売れる作家なんてほんの一部しかいないじゃない。書くというだけですごいと思うんだけどな、読み手の私としては。」
康一「君も本を読んだりするの?」
女性「少しね。ほんの数冊。」
康一「へえ、最近の高校生でも本を読む子がいるんだな。なんか、元気が出ちゃうよ」
女性「(にっこりと笑う)」
康一「話を元に戻そうか。君、さっきからいろいろつぶやいてんだけど、一体何をつぶやいてたんだい?」
女性「え?」
康一「ぜひとも聞きたいんだ。それがこの物語のラストを握るカギになると思って。」
女性「物語のラスト?」
康一「いや、僕は今、小説を書いててね。君のような女子高生を主人公にした話を書いてるんだ」
女性「へえ、そうなの。」
康一「何か、心残りな事でもあったのかい? 僕の夢の中で何度も出てくるほどだから、よほどの事があるんだろ?」
女性「......私、実は、お父さんにもう一度だけ会いたくて。」
康一「お父さんに?」
女性「そう。それでお父さんに、どうしても話がしたくて。」
康一「どんな話がしたいんだい?」
女性「それは、もう、いろいろ。今まで申し訳なかった事とか、わがままを言ってしまった事とか。あの時反抗してしまった事とか。」
康一「あの時って、どの時?」
女性「私が進路を変えたのを、お父さんに話した時、私お父さんにひどいこと言っちゃって。」
康一「ああ、あのシーンか。この原稿にさっきしたためた。それねえ。別に君が悪いってことはないと思うけどな。」
女性「どうして?」
康一「だって、君はお父さんのことを想って、東京に働きに出ようとしたんだろ? 親のことを想いながら自分の将来の夢を選択できるなんて、大したものじゃないか。僕なんかさ、自分の事ばっかりなんだから。作家なんていう、将来が見えない仕事なんかに興味が引かれちゃってさ。それに引き換え、君は、よくお父さんのために頑張ってきたと思うよ。」
女性「そうなのかな......。」
康一「ああ。少なくとも、僕はそう思うけどね。」
女性「......最初は、本当にちょっとしたことで決めた事なの。私、人に喜んでもらうのが好きで。お父さんの手伝いをすると、皆がニコニコしてくれてた。だから、私お父さんの店を継ごうって決めてたの。けど、高校に入ってから、お店の現状が少しずつ分かるようになってきて。それで私、高校卒業したら東京の企業に入ることにしたの。それで......」
康一「それで、お父さんのために、進路を変えたんだよね。」
女性「......どうしてわかるの?」
康一「そりゃ、何を隠そう、君のキャラ設定を考えたのは僕なんだから。いや。ボク君を書きながら思ったことなんだけどね。君のような子はね、案外東北には結構いるんだよ。地元で稼げる仕事がないから、仙台とか東京のような都会に出ていって出稼ぎをするっていう子が。僕はさ、最初そういう過疎地域の出稼ぎについて授業で習った時、本当は違うんじゃないかって思い込んでた。みんな、実は都会に憧れていて、それで都会へ出ていって、自分の夢を追い求めてたんじゃないかって、そう思い込んでた。けど、君の故郷へ行って、感じたんだ。みんな、本当は自分の故郷が好きなんだって。実際こうして調べて書いてみて、なんとなく感じたんだ。中には地元を本気で嫌っている人がいるかもしれない。けど、あの震災後の復興商店街を見て、そういう、何というか、気仙沼の人たちの地元愛を実感させられたんだ。」
女性「復興商店街......?」
康一「ああ、そうか。君は見たことなかったんだ。震災後の気仙沼を。」
女性「うん......気仙沼は、今はどうなってるの?」
康一「僕が見たのは二〇一二年の頃のことだからアレだけど、みんな元気で、とても明るかったよ。すごい明るかった。あの気仙沼の街も、とても魅力のある街だったな。」
女性「そうだったの。」
康一「ああ。すごくいい街だったよ。」
女性「......帰りたい。出来るものなら、帰りたい......。」
康一「京子ちゃん。」
女性「帰りたい......帰りたいよ......地元へ帰りたい!」
康一「......じゃあ。よかったら、一緒に行こうか?」
女性「え?」
康一「よかったら一緒に行こうよ。気仙沼へ。」
女性「え......いいの?」
康一「ああ。もちろんさ。君のような子のお願いであれば、僕は連れていってあげるよ。」
女性「ありがとう......。ありがとう!」
康一「じゃあ、行くよ。」
女性「うん!」
舞台から離れていく康一と女性。
舞台転換。
9
舞台は気仙沼の復興商店街。
康一、女性登場。
康一「ここが、復興商店街だよ。」
女性「へえ、ここが。箱のような建物の中で、店を開いてるんだ。」
康一「ああ。何しろあれは、本来は仮設住宅だからね。」
女性「仮設住宅?」
康一「津波や地震で家を失った人たちのための、仮の住居なんだよ。あれは。」
女性「なるほどね。」
康一「あれを初めて見た時はびっくりしたなあ。なんか、気仙沼の人たちの商人魂みたいなのが伝わってきてさ。」
女性「確かに、感じるね。そういうの。」
康一「でしょ?」
女性「うん、感じる。なんとなくだけど、感じる。」
康一「......それじゃあ、今度はあっちを見てみようか。」
女性「うん。」
康一、女性、少し舞台を歩いていく。
すると、舞台は気仙沼の街中へ変わっていく。
女性「不思議。あんなに大きな地震があったっていうのに、以前のままの光景がほとんど残ってる。」
康一「建物自体は、地震ではそう崩れなかったみたいなんだ。それに加えて、この辺は地理的な部分で恵まれた地域だったみたいでさ。リアス式海岸の端っこ、しかも高台にあったおかげで、この辺のほとんどの建物が飲まれずに済んだんだ。中には、不幸にも崩壊してしまった家もあったみたいだけど、隣町の陸前高田ほどじゃなかったらしい。あそこは全て真っ平にされたから。」
女性「そうだった。私はあの時、陸前高田にいたの。津波が来るというから、高い山へ登って避難したんだけど、ホント運が悪かった。津波の勢いが激しすぎて、あんな高い山にまで到達しちゃったの。」
康一「それは、災難だったね。」
女性「でも、この街が無事なのを知ることができて、本当によかった。お父さんやお店も無事だといいんだけど。」
康一「お店っていうのは、アレのことだろ?」
指をさす康一。
その向こうには小さなカレー屋があり、その中で男性が調理を行っている。
女性「あ......!」
康一「あの人の話によると、津波がギリギリまで来てたみたいなんだけど、なぜかあそこまででピッタリ止まったみたいで。おかげで傷一つなく無事に済んだんだって。」
女性「ああ、無事だったんだ。お父さんのカレー屋が......お父さんのカレー屋が......こんなことって、本当にあるんだ。まるで奇跡みたい。」
康一「そうだね。これこそまさに、奇跡だ!」
女性「お父さん! お父さん!」
女性、カレー屋の中に入って男性のもとへ近寄る。
が、男性は黙って調理を続けている。
女性「お父さん、ただいま。お父さんが元気そうでよかった。あのね、私どうしてもお父さんに伝えたいことがあってね。ねえお父さん。......どういうこと?全然こっちを向いてくれない。」
康一「それは、きっと君が幽霊だからだよ。」
女性「そんな。でもあなたとは話ができるじゃない。」
康一「ああ、そうだ。僕には聞こえてる。でもきっと、君のお父さんにはそれが聞こえないんだ」
女性「どうして。」
康一「さあ、何でだろう。それは、僕が気が病んでいる人間だからかもしれないし、僕が幽霊を信じている人間だからなのかもしれない。少なくとも、今のこの人には、君の声が聞こえてないみたいだ。」
女性「そんな......」
康一「ごめんよ、京子ちゃん。僕ができるのは、ここまでだ。本当にごめん。」
女性「お父さん。お父さん!」
康一「ごめんよ。本当に、ごめんよ。」
女性「お父さん......!」
康一、カレー屋の中に入っていく。
男性「いらっしゃい。」
康一「こんにちは。......あの、僕のことを覚えてますか。」
男性「......君は、確か......」
康一「以前、ここで食事をとらせていただいた、よそ者の観光客です。」
男性「ああ、あの時の。」
康一「覚えてくれてたんですか?」
男性「ああ、覚えてるよ。何しろ珍しいお客さんだったからな。」
康一「それは光栄です。」
男性「ご注文はどうされます?」
康一「そうですね。......じゃあ、ポークカレーの並盛りで。」
男性「はいね。」
調理を始める男性。
間。
男性「あれから、何年たったのかねえ。」
康一「え?」
男性「君が初めてここに来た時のことさ。」
康一「え、ああ。まあ、3年は立ちますかね。」
男性「そうだったな。君が初めてこの店に来たのは、震災が終わって翌年の、8月ごろだったもんな。」
康一「そうでしたね。」
男性、カレーを皿によそって康一に手渡す。
男性「お待ちどうさま。」
康一「ありがとうございます。」
女性「お父さん......。」
康一「(女性の方を向く)」
男性「何か、いるのかい? ここに。」
康一「いえ、その。いるというか、なんとなく感じるんです。」
男性「感じる?」
康一「はい。きっと、それは僕の思い込みでしかないのでしょうけれど。」
男性「何を感じるんだい?」
康一「......亡くなった人の声です。」
男性「亡くなった人の声。」
康一「はい。ここで生きてきた、気仙沼の亡くなった人たちの声が、すごく感じるんです。」
(ここからは、女性のセリフとと康一や男性のセリフが同時進行するように演出する
のをおすすめしたい。もちろん、普通のセリフの進行で進めても構わない。)
女性「お父さん、今までごめんなさい。」
男性「例えば、どんな言葉が聞こえるんだい。」
女性「私、あの時都会に出てみたいって言っちゃったんだけど。」
康一「それはわかりません。ただ、誰かの心の声が聞こえるんです。」
女性「本当は、私この街が本当に好きだったの。」
康一「それは、僕の思い込みかもしれないし。」
女性「この気仙沼の街の風景も、山の緑も、蒼い海も。」
康一「本当の幽霊の声かもしれない。」
女性「この街に住んでいる皆もとても大好きなんだよ。」
康一「ただ、その声は空気のようにモヤモヤしていて。」
女性「普段ではあまり言うことができなかったけど。」
康一「はっきりとは聞こえてこない。」
女性「私、今でもお父さんが好きだよ。大好きだよ。」
康一「でも、今こうして見守ってくれてるような気がして。」
女性「お父さん、大好きだよ。」
康一「ちょうど今、ここにも誰かがいるような気がして。」
女性「お父さん、大好きだよ。」
女性、男性の背中をぎゅっと抱きしめる。
照明が、ほのかに二人を照らす。
男性「......京子......そこにいるのは、京子なのか?」
女性「お父さん。今までありがとう。」
男性「京子......」
女性「私、本当にお父さんに迷惑ばかりかけちゃった。本当に、親不孝な娘だよね。私。本当に、ごめんなさい。」
男性「......馬鹿なことを言うなよ。お前は最後まで、親孝行な娘だったじゃないか。いつも俺の店のことばかり気にしてくれていてさ。大都会の東京まで出稼ぎに行こうとしてくれてよ。本当に、俺は親として失格だ。」
女性「そんなことないよ。」
男性「いいや。俺は失格だ。だって、だってお前を救うことが、出来なかったんだから......」
女性「大丈夫。私は生きてるよ。」
男性「生きてなんかない。」
女性「生きてるよ。どんな形であっても、私は、こうしてお父さんを見守ってるから。」
男性「京子。お前は、もう死んだんだ。」
女性「確かに、私はもう、肉体は滅びてしまってるよ。けどね、お父さん。お父さんの見えてないところで、私の魂は生き続けているんだよ。いつもこうして見守ってるから。だからね、お父さん。安心して。安心して、私のことは忘れて。過去のことにとらわれないで、今を生きていって。」
男性「京子。」
女性「さようなら。」
男性「京子。」
女性「さようなら。」
男性「行かないでくれ、京子!」
女性「お願い! 今を生きて。」
男性「お前のいない人生なんて考えたくもない!」
女性「......ありがとう、お父さん。でも、行かなくちゃ。」
男性「京子!」
女性、カレー屋の外へ風のように去っていく。
女性の声「今を生きて。お父さん!」
男性「......京子。京子......!」
ゆっくりと照明転換。
康一「どうか、しましたか。」
男性「いや。何でもない。ただ、思い出にふけっていただけさ。」
康一「そうでしたか。」
男性「この気仙沼も、ホント変わったもんだよ。あの震災があってから、いろんなボランティアの学生が来るようになって。ボランティアだけじゃない。以前よりも増して観光客も、すごい増えた。おかげで、いろんな意味で、とても助かってるんだよ。」
康一「そうでしたか。」
男性「確かに、今でも苦しいことはいろいろあるけれどよ。やっぱり、人のつながりがあるからこそ、今を生きていられるんだ。」
康一「人のつながり。」
男性「そう。失ったものはたくさんあるけれど、残されたものもたくさんあるんだ。この気仙沼で生きていく以上は、津波なんかに、負けちゃいけないんだ。(にっこりと笑う)」
康一「......すごいです。本当に、すごいですよ。あんなひどい災害があったのに、気仙沼の人たちは、とても明るいんですね。」
男性「そうだな。暗いままでいても、仕方ないから。」
康一「......すごい。本当に、すごいです。」
間。
男性「そういえば、あんたは学生さんだったか?」
康一「ああ、はい。来年の三月で、卒業になります。」
男性「そうかそうか。」
少しの間。
男性「学生さんよ。よかったら何か、気仙沼のことについて論文とか小説でも書いてくれよ。」
康一「え?」
男性「俺たち気仙沼市民に関する、論文や小説を書いてほしいんだ。それでこの気仙沼を、もっと日本中に、いや、世界中に知らせてほしいんだ。俺たちは、今をこうして生きているんだって。今も俺たちは明るく元気に、生き抜いてるんだって!」
康一「カレー屋さん......。」
男性「学生さんよ。俺の願い、聞いてはくれないか?」
康一「......はい! 分かりました! 書いてみせます。必ず書いて、世界へ発信します! この気仙沼を。」
男性「頼むよ。あんたらこそが、未来の希望なんだ!」
康一「はい!」
男性「......ありがとう。気仙沼に来てくれて、ありがとう!」
康一「(にっこりと笑う)」
溶暗。
舞台転換。
10
舞台は康一の部屋の中。
舞台中央にある、デスクの上にある原稿の束にサスが当たる。
そんな原稿を見つめている康一。
康一「気がつくと、僕は机の上で眠っていた。そして目の前には、書きあがった殴り書きの、およそ三十枚の原稿があった。まだ、本当に拙い出来ではあるけれど、ここまで書ききるのは久しぶりのことだった。普段は途中で投げ出してしまう僕だけれど、どうしてこうやって書ききることができたのか。理由ははっきりとは分からないけれど、それはきっと、多分あの夢の中で、さりげなく、あの女の子が、そして、気仙沼のカレー屋のおじさんが支えてくれていたからなのかなと、そう思えてならない。思えば、僕の心の中にはいつも、あの気仙沼の街が広がっていた。あの時に見た、復興商店街や昔ながらの古い町並み。そして、そんな街の中には、あの気仙沼の人たちがいた。世の中には、どんな災難があっても明るく生き抜いている人たちが、確かに存在している。そんな事実を、いつか何かの形に残していきたいと、ずっと思ってきた。それがやっと、ついに、形になったのだ。」
ピンポン、という呼び出し音。
明転。
道雄登場。
道雄「おはよう。どうだ、康一。筆は進んでるか?」
康一「ああ。ついに書き上げたよ。」
道雄「そうか。完成したか。」
康一「まあ、まだ第一稿だから、これからが勝負なんだけどね。でも、書き上げるとやっぱ気持ちがいいな。」
道雄「そうだろうな。」
康一「道雄は、原稿どうなったの?」
道雄「まだ出来上がってない。」
康一「ああ、そうなんだ。」
道雄「どうも途中で投げ出したくなっちゃうんだよな。あのさ康一。どうやったら最後まで書き上げることができるの?」
康一「......さあ。僕もよくわからない。」
道雄「そっか。......大学生活も大詰めを迎えたからな。できれば、ここでいい思い出をつくりたいんだけど。」
康一「いい思い出って。」
道雄「俺、実は諦めたんだ。作家の夢を。」
康一「え? どうして。」
道雄「いや、何かどうでもよくなったというか。作家の大変さを実感できたからかな。就職先も決まったことだし。もう、夢を追うなんていうのはやめにしようと思って。」
康一「そうか。」
道雄「お前は、どっか就職先決まったんだけ?」
康一「いや、まだ。」
道雄「そう。就職しないの?」
康一「いや、僕は......僕は、作家活動を続けるよ。副業はするかもしれないけど、意地でも、一生アマチュアだろうが、プロになろうが、僕は作家として、世の中に発信し続けるよ。いつ読まれるか、誰に読まれているか分からないけど。僕の作品を読んで、明るい人生の道が開ける人がきっといるから。だから、僕は続けるよ。作家を。」
道雄「そう。そうなんだ......。じゃあ、これから出す作品は、お前にとっては、夢への第一歩ってとこか。」
康一「ああ。」
道雄「......確か、東北の話だったよな。」
康一「そうだよ。」
道雄「ちょっと、どんな作品か見せてもらってもいいかな。」
康一「え?」
道雄「未来の大作家になるかもしれないからさ。お前の原稿、今のうちに、手に取れるうちに読んでおきたいんだ。ちょっと、読ませてくれよ。」
康一「......ああ。もちろんいいよ。」
康一、原稿を道雄に手渡す。
原稿をペラペラめくって読んでいく道雄。
道雄「そうだったそうだった。今回のお前の新作は、気仙沼のカレー屋の話だったな。」
康一「ああ。その家の看板娘である女子高生がヒロインの物語。初めての家族ものだよ」
道雄「ホントよく書けたなあ。文章こそ荒削りだけど、なんだか雰囲気が伝わってくるよ。」
康一「ホントに?」
道雄「ああ。俺、東北には行ったことないけど、さぞかしいい所だったんだろうなあ。なんか、そういうのが伝わってくるよ。」
康一「ああ。......とっても、いい所だったよ。」
照明転換。
舞台奥に広がる、気仙沼の風景。
女性が、男性とともに街道をゆっくりと歩いている。
おわり